イ・ヨンエはソウルで生まれ育った。蚕室女子高校を卒業し、漢陽大学独語独文科に在学中、オリオンのチョコレートのCMに出演し、芸能活動をスタートした。その後、アモーレパシフィックの化粧品ブランド「Mamonde」のイメージキャラクターとして長い間活動した。「酸素のような女」というキャッチフレーズがついたのもこのころだ。
-大学2年のときにデビューしたそうですが、遅い方では?
「高校まではただおとなしいタイプでした。せいぜい写真を撮ったり、歌を歌うのが好きだったくらいで。ありふれていますが、家-学校-家-学校を往復するだけだったんです。その代わり、大学に入ってからはやりたいことが多くて、あれこれ試してみました。チラシを配るアルバイトもしたし、デパートで販売員もしました。サークルで歌をつくったりもしたし。あるときは記者が夢でした。スポーツソウルで大学生名誉記者をしたこともあります。大学2年のとき、偶然チョコレートのCMを撮影することになったのですが、そのときもただのアルバイト感覚でした。アンディ・ラウさんとCMを撮影したのですが、後でドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』のプロモーションため香港を訪れたとき、アンディ・ラウさんと電話で話す機会がありました。『私を覚えていますか』と尋ねると『はい』と言ってくれました。本当にありがたいし、うれしかったです」
-内気な性格の割に、初期には性格のきつい役をたくさん演じましたね。
「酒場の女(『私が生きる理由』、1997年)、前科者(『絆』、1996年)など、強烈なキャラクターをいくつも演じました。恥ずかしがり屋だけれど、それだけ、私の中で別の人物として生きてみたいという欲望と情熱が大きかったのだと思います。いざ演じなければならなくなると、とても焦りました。くるくるパーマにしたり、真っ赤な口紅を塗ったり。あのころ、強烈なキャラクターを演じれば、演技が早く上達すると信じていました」
-女優としての頂点はやはり、『宮廷女官チャングムの誓い』のときでしたか。
「そうでもあり、そうでないとも言えます。『宮廷女官チャングムの誓い』は確かに私にとって、女優として生きることに大きな生きがいを感じさせてくれた作品でした。でも、1996年のドラマ『同期間』でヨンジャという女子高生役を演じたときの思い出も格別です。視聴率が高くなく、早く終わってしまったけれど、あの役を演じたときとて面白く、楽しかったです。演技の喜びをあらためて知りました。あのとき右往左往したり、失敗したことが積み重なって、後に『宮廷女官チャングムの誓い』や映画『親切なクムジャさん』に出演することができたのではないかと思います」