23日は1990年代を風靡(ふうび)した新世代文化のシンボル的グループ「ソテジワアイドゥル(ソテジと仲間たち)」がデビューして20周年を迎える日だ。ソテジワアイドゥルは1992年に1stアルバム「僕は知っている」をリリースすると同時に、当時は革新的だったヒップホップのリズムにラップやブレイクダンスを交え、韓国歌謡界を手中に収めた。彼らは96年1月22日に引退するまで4枚のアルバムをリリース、歌謡界だけでなくファッションなど韓国のポップカルチャー界全般に大きな影響を与えた。現在、韓国はもちろん世界のK-POPブームをリードしているアイドルグループのほとんどが、ソテジ(40)に音楽的・文化的影響を受けて育った「ソテジ・チルドレン」だ。ソテジが新たに構築したポップカルチャーのパラダイム(模範)は、2012年の韓国ポップカルチャー界にもまだ息づいている。
92年にデビューしたソテジワアイドゥルは、作詞・作曲で天賦の才能を発揮したソテジ、トップラッパーでダンサーのヤン・ヒョンソク(42)とイ・ジュノ(45)というメンバーから成っていた。彼らの音楽は型破りでクリエーティブだった。そして既成社会への批判と若い世代に対する癒やしなどで、時代の象徴となった。
96年に解散・引退した後も、メンバー3人はポップカルチャー界でそれぞれの人生を歩み続けたが、その中でもヤン・ヒョンソク氏=写真=の変身ぶりは輝かしかった。ヤン氏は97年に芸能プロダクション「YGエンターテインメント」を設立、JINUSEAN、フィソン、SE7EN、BIGBANG、2NE1など人気シンガーやアイドルを世に送り出し、約2100億ウォン(約156億円)もの株長者になった。15日、ソウル市麻浦区のYGエンターテインメント本社で会ったヤン氏は「20年という歳月はとても早かった。すべての活動を終え、人生を振り返る時、一番思い出深い瞬間を挙げろといわれれば、ソテジワアイドゥルとして活動していたときだと答えるだろう」と語った。
-ソテジワアイドゥルが一世を風靡(ふうび)したのはなぜ?
「僕たち以前の音楽が『キム・サッカッ(朝鮮王朝時代の風刺詩人、1807-63年)がラップをやっているような感じ』だとすれば、ソテジワアイドゥルは『外国でしか聴けなかったなじみのない音楽に、韓国語で初めて本格的に挑んだもの』といえるだろう。理不尽な慣習で凝り固まった既成社会体制を拒否し、僕たちがやりたい音楽をやったことが大きな波及効果を生んだ」
-ソテジの第一印象は?
「当時ロックバンド『シナウィ』での活動を離れたソテジは、ソロアルバムのリリースに備え、ダンスを習いたいと僕のところにやって来た。僕はそのときヒップホップや黒人の文化に心酔していたので、ロングヘアに黒縁メガネをかけていてラップが全く似合いそうにないソテジに少し距離感を感じた。だが、彼の音楽的な才能を目の当たりにして、グループを組もうと僕から提案した。その後、イ・ジュノも迎えてグループを結成し、5カ月後にデビューした」
-デビュー後に大反響を巻き起こすことを予想していた?
「その当時は僕たちのような音楽をやろうとしている人たちがいなかった。僕たちは僕たちが好きな音楽、僕たちがいいと思っている音楽をやっていた。人気が出るかどうかは考えたこともなかった」