もちろん、 『グエムル-漢江の怪物-』は俳優の映画ではない。漢江のほとりで正体不明の怪物に立ち向かう家族の死闘を描いたこの作品は、ポン・ジュノ監督の巧みな演出と完成度の高い特殊効果で注目を浴びている。しかし、俳優の巧妙な演技アンサンブルがなければ、おそらくこの映画の面白さや感動は大幅に損なわれていたはずだ。そのアンサンブルの中心にすばらしい俳優、ソン・ガンホがいた。一挙に爆発して観客にカタルシスを感じさせるのではなく、爆発寸前の力をコントロールして始終緊張に包まれているような演技。この卓越した俳優は『グエムル-漢江の怪物-』の27日の公開で、映画界に飛び込んでからちょうど10年を迎える。
―完成した『グエムル-漢江の怪物-』を見た感想は?
「本当に奇怪な映画だと思った。色で例えると独立して鮮明な色ながらも、初めて見る色のようだというか…」
―『殺人の追憶』のポン・ジュノ監督の新作とはいえ、出演の決心はすぐつかなかったようだが?
「ポン監督でなかったら出演しなかっただろう。怪物映画自体好きではなかったから。しかし『復讐者に憐れみを』の時もそうだったが、皮肉にも『グエムル-漢江の怪物-』は企画段階で初めて見たとき、オファーを拒否したい理由と受け入れたい理由が同じだった。奇妙で未知のものであることが魅力として作用したとでもいうか…」
―演技しながらカンドゥはどんな人物だと思った?(漢江の川岸で売店をやっているカンドゥは怪物にさらわれた娘を捜すため立ち上がる)
「盲目的だが純粋な人だ。韓国社会の主流をなす人々なら、怪物が娘をさらったからといってカンドゥのように無謀にも一人で探すことはしないだろう。しかし、そういった人々も組職の中で理性や感情が萎えて意欲がなくなっただけで、もともとはカンドゥのような人ではなかっただろうか」
―怪物の登場までスリルあふれるプロローグが展開した後、昼寝で眠りこけるソン・ガンホの顔がクローズアップになるカンドゥの初登場シーンでは“緊張したでしょう?ユーモラスなソン・ガンホの出る映画ですから、これからは心置きなくお楽しみください“という監督のメッセージが聞こえるようだが?
「まさにそのとおり。その初シーンがこの映画のムードを予告する役割をしている。ポン監督は本当に鋭い監督だ。演技に注文をつける時も、核心シーンを撮る数日前から何気なく話題を投げかけておき、俳優がその間ずっと悩みながら作り上げられるよう仕向ける」
―父親が怪物に一撃を食らい、カンドゥが警察に逮捕されるシーンで、ピョン・ヒボンとソン・ガンホの演技はすばらしかった。
「とても苦労して取ったシーンだが、やりがいはあった。父親の運命を知りながらも、激しく降りしきる雨の中で“父さん、起きるんだ”と泣きながら叫んだ。論理的ではないが、それが悲しみに直面した時のカンドゥの姿だと思った」
―『殺人の追憶』で容疑者に「メシは食っているのか?」と尋ねたセリフもそうだった。
「演技をしていると、自然な感情から出る表現というか、なぜかこの状況ならこの人物はこういうだろう、という瞬間に出会う」
―俳優として固定されたジャンルの映画を好まないようだが?
「映画の進行から演技パターンまで、いろいろなことがあらかじめ決まっているジャンル映画には魅力が感じられない。一度した演技を繰り返したくない。『ナンバー・スリー』以降は暴力団員役、『殺人の追憶』以降は刑事役のオファーが多かったが、非常にいい作品でなければ同じ役をしたくなかったのでお断りした」
―『グエムル-漢江の怪物-』だけでなく次回作『優雅な世界』でも父性を描いている。プライベートで父性を強く感じる時はどんな時?
「哀れだとかわいそうに思う時だ。子供がかわいいしぐさで踊っている時よりも、悲しそうにしている姿を見た時のほうが、自分の小さいころと重なり、いとしさとともに、父性を強く感じる」
―映画人生の10年間で、最も重要だと思う作品を3つ挙げるとしたら?
「俳優のキャリアで最も重要な出来事という面からいえば『グリーンフィッシュ』『反則王』『殺人の追憶』を挙げる。俳優として分不相応にもこの10年間、すばらしい監督に大勢出会えた。イ・チャンドン、キム・ジウン、パク・チャヌク、ポン・ジュノの各監督は私に本当に多くの影響を与えてくれた」
―作品選びで最も重要だと思うことは?
「監督が誰なのかが最も重要だ。その次はシナリオだ」
―俳優としてどんな健康管理をしている?
「時間があれば山に登ったり、公園を散歩したりするぐらい。健康でなければ多くのいい作品に出られないから、それだけの努力はしたい。しかし若く見せたいという気持ちはない。
年老いる過程を俳優として自然に受け入れたい」