『女は男の未来だ』でカンヌ出品を果たした洪尚秀監督

 韓国の映画監督でただ一人カンヌ国際映画祭に参加することができるとしたら、映画の分かる人であれば洪尚秀(ホン・サンス)監督(43)の名前を挙げるだろう。

 『豚が井戸に落ちた日』がロッテルダム国際映画祭とバンクーバー国際映画祭で作品賞を受賞したのをはじめ、洪監督の過去の作品は映画祭から引っ張りだこだった。

 たとえ大賞を受賞できなくても「尚秀は映画の未来」というイメージは崩れることはなかった。洪監督5本目の映画『女は男の未来だ』が、5月12日に開幕するカンヌ国際映画祭のコンペ部門への出品を決めた。

 「私が非常に現実的な人間なんです。映画を作って制作費を回収することができる監督でもないですし。映画祭への出品が映画を作り続けることに役立っているのは事実です。しかし、ただ漠然としています。これといった感じや感懐がないということです」。やや低くソフトな口調の監督に「オーバーな謙遜は傲慢」とは言えなかった。

 『女は男の未来だ』は映画留学を終えて帰国した先輩のヒョンジュン(キム・テウ扮す)と後輩の美大講師を務めるムノ(劉智泰(ユ・ジテ)扮す)が大学時代に交際した女性のソンファ(成賢娥(ソン・ヒョナ)扮す)を訪ねる1泊2日間を描いた物語。

 心配を装った嫉妬、思い出を装った合理化、愛を装った欲情、本気を装った虚偽の感情が描かれている。1時間26分の映画をたった51カットのみで制作した。映画を観ている途中にトイレに行っても同じ人物や似たようなシーンが続いているといった具合だ。

 「私の映画を知っている人なら特別なメッセージは期待もしなかっただろうが、今回は形式やシンボルを通じて私が何を言おうとしているかを容易に類推できないようにしたかったです。映画を観て必ず意味を見出すことができなければ気が済まない観客には、この映画は難しいかも知れないと思います」

 観客に知的劣等感を与えることが多い作家映画の加虐的趣味の一つであるのなら、洪尚秀監督の映画も同様だと言えるだろう。

 それでも監督が熱狂的な支持を得ているのは生きるものとしての正直さにあり、その正直さから発せられる滑稽さのためだ。「毛深いね」(初めてのセックスの後に男が女の足を見て)、「ただ抱きしめるだけじゃだめなの?みんな一緒。抱きしめるだけなんてあり得ない」(女が男に)といった台詞は、観察者の視線が介入されればアイロニーになり、初めて日常の台詞が新しい意味を持つようになる。

 ベッドシーンが多く、張善宇(チャン・ソンウ)監督の映画と並んで「ラブホテルロケ」と呼ばれた洪監督の映画は、今回もセックスシーンが多く登場する。映画主人公の回数は平均的な韓国人よりも遥かに上回る。結局リアルなキャラクターと台詞は、また別の性的ファンタジーに奉仕するためのものなのか?

 「映画を作る時に選択する人物のスタイルは決まっている方だ。しかし、それが通常の人々の日常とほど遠いものではない。ある人物の日常を細かく観察した時、ドラマ以上に驚くべき出来事が起ったりする。ドラマチックというのは単純にメディアが作り出した観念に過ぎない」

 完成されたシナリオを使わずに撮影をする洪監督は、今回もA4用紙にその日の撮影分を要約した簡単なコンテのみを俳優に突き出した。酒に酔うシーンで俳優は酒を飲み、朝のシーンを撮る時は前日からロケ現場で寝て起きた姿をそのまま撮る。

 「俳優がシナリオを研究し過ぎると自然な演技ができない。映画の撮影中はただ役に成りきって行動すれば良い演技ができるはずだ」

 だから洪監督は最高の“再生マシーン”だ。金相慶(キム・サンギョン/非常に親しい上に監督を冗談で「父さん」と呼ぶ)、イェ・ジウォン、秋相微(チュ・サンミ)が監督の作品を通じて演技派俳優や女優となり、今回の映画でも特にキム・テウの演技が輝いている。

 「キム・テウさんがある日、夢に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が出てきたと言っていました。すると妻が『それは幸運の夢ね』と喜んで『でもテウさんがあなたの映画に出るかしら』なんて言っていたのですが、翌日には私がテウ氏に電話をしていましたね…」

 インタビューの最中ずっと意味不明の絵を描いていた洪尚秀監督。彼に映画についての意味を聞くのは、意味のないことだったのかも知れない。

パク・ウンジュ記者 zeeny@chosun.com
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