伽椰琴(カヤグム/撥弦(はつげん)楽器の一種)名人の黄秉冀(ファン・ビョンギ/67)氏は、伽椰琴の音を初めて聴いた時の印象を「生い茂った草むらの中に隠しておいた宝物を発見してしまった泥棒のような心境」と打ち明けたことがある。
釜山(プサン)に疎開していた京畿(キョンギ)中学3年生の時、下校時に初めて聴いた伽椰琴の音だった。男が伽椰琴を持っていると女子生徒たちから「みっともない」、「変わった人」などと笑われた時代に伽椰琴に入門し、先祖たちの音と交感し続けて今年で52年。
黄氏は「国楽界で最も権威のある賞を頂くことになり、非常に感謝している」と第10回方一栄国楽賞を受賞した感想をこう語った。
-夫人(小説家の韓末淑(ハン・マルスク)氏)が某文学誌に寄稿した遺言状で子供たちに「(私が死んでも)お父さんは手のかからない人だから一緒に住む必要はない…」という言葉を残しましたが、寂しくありませんか?
「嬉しいですよ(笑)。私があまり問題を起こさない人間なのか、私にそんな独立心があるのかなと思ったりもして…」
-あなたにとって伽椰琴とは何か?
「初めて伽椰琴を学んだのは何の目的もなく、ともかく大好きだったからでした。伽椰琴奏者、作曲家となり、結婚も伽椰琴のためでしたので、伽椰琴は私にとって運命だと思います。私が1990年に分断後初めて民間人として軍事境界線を越えて平壌(ピョンヤン)に行き、南北交流ができたのも伽椰琴のお陰です」
(黄氏は5歳年上の韓末淑氏と国立国楽院で伽椰琴を習う際に出会った。ソウル大学で一時、伽椰琴の講師を務めた韓氏は「夫に音程がああだこうだと言われるのが嫌で、夫が家にいない時だけ伽椰琴を弾いた」と語っている)
韓氏の音楽は見た目(表情)はモダンだが中身(情緒)は韓国的な伝統に触れている。
韓氏が1962年に韓国音楽史上初めて現代伽椰琴曲として作曲した『森』や『秋』が、それにあてはまる。『沈香舞』は新羅時代の彫刻、絵画、文様からインスピレーションを得て作曲した。
『森・春・石榴集・秋・加羅都・沈香舞』、『シルクロード・アイボゲ・伝説・霊木』、『迷宮・菊の隣で・山雲』、『夜の音・河臨(ハリム)城・南道幻想曲・掃葉山房・春雪』…。それぞれが独自の風情を持った曲を4枚のアルバムに収録した。
-伽椰琴をやっていて特に印象に残っていることは?
「1965年にハワイ大学の東西文化センター行われた『20世紀音楽芸術祭』に招かれ、『森』と『秋』を演奏したことです。まるで夢のようでした。あの時『森』は踊りの振り付けがされ、私はホノルルシンフォニーと協演してアルバムもレコーディングしました」
(このアルバムを『ステレオレビュー』は「ハイスピードな時代の現代人にとって精神的解毒剤のような音楽」と絶賛した)
「あの時ほどやりがいを感じた時はありませんでした」
黄氏が1975年に洪信子(ホン・シンジャ)氏とともに初演した『迷宮』は、30年を過ぎた今聞いてもモダンだ。
チェロの弦、チャングとコムンゴ(玄琴)のばちを使い、すすり泣いているような笑っているような洪氏の口音が解け合うこの即興音楽は、今でも前衛的、実験的生命力を持つ。
このように、黄氏の音楽は伝統的でありながら現代的だ。古今東西を越え、雅と俗をない交ぜにする。ストラビンスキーやバルトークなどの西洋現代音楽に心酔しながらも、西洋音楽の技法を真似るわけではない。
黄氏は竹を割ったような性格だ。季節によってあごひげを伸ばしたり剃ったりする以外、表情は黄氏の伽椰琴曲『秋』の曲調そのままに淡々としている。
4分5秒の長さの『秋』のように口数も少ない。しかし隙はなく、緻密で論理的だ。
黄氏は梨花(イファ)女子大学教授を昨年退官し、名誉教授を務めている。韓国芸術総合学校と延世(ヨンセ)大学では講義を行っている。
「あちこちから特別講義の申し込みがあり、外国での招待演奏も少なくないので、退官する前より忙しい」という。最近、中学生用の数学の参考書も買った。
「最も熱心に勉強していた頃を思い出し、好きだった数学の問題を解いていると、勉強の楽しさを今さらながら感じる」という。
「演奏していた者が作曲をすると演奏を遠ざけるようになりますが、演奏こそ音楽の花。演奏の醍醐味を捨てることはできません」と話した。