“世界チャンピオン”が“猿の調教師”に変身した。
86年にIBF(国際ボクシング連盟)の世界フライ級チャンピオンになった鄭飛源(チョン・ビウォン/44)さんがその主人公だ。
昨年6月、全羅(チョルラ)北道・扶安(プアン)の辺山(ピョンサン)半島にオープンしたテーマパーク「猿の学校」での鄭さんの肩書きは校長だ。約100匹の猿が鄭さんの生徒たちだ。
国立公園内にこの学校があるため、調教後には毎日「猿の生徒」たちが公演をする。鄭さんは公演のハイライトである「猿の教室」を演出し、自ら出演もして観客を楽しませている。
ソウルで三男三女の5番目に生まれた鄭さんは、中学を卒業後、四角いリングに飛び込んだ。厳しい環境の中で黙々とサンドバッグを叩いた鄭さんは、86年4月、夢に見た世界チャンピオンのベルトを腰に巻いた。
しかし、栄光の瞬間はそう長くは続かなかった。チャンピオンになったその年、初のタイトル防衛に失敗したのだ。3年間、再起を目指して奮闘したが、一度そっぽを向いてしまった勝利の女神は二度と微笑まなかった。
「リングの世界は冷酷ですね。食べたり、飲んだりといったすべての欲望を抑えながら努力しましたが、30歳でお払い箱になってしまいました」
鄭さんは苦笑しながら当時を回想した。89年に引退した鄭さんは、ジムをオープンして後進を育成しようとしたが、ボクシング人気の低下も重なって2年で閉館した。
「テレビの解説者やイベント業など、手当たり次第に仕事を探しました。そんな時、テレビで日本の『お猿の学校』が紹介されていました。これだと思ったんです」
鄭さんは99年、幼い2人の子供と妻を残して日本で3年間、調教師の教育を受けた。「日本での生活は楽ではありませんでした。日本語も学んで、見よう見まねで技術を学ぼうと大変でしたが、これが最後のチャンスだという危機感がありました」
鄭さんが体得した猿の調教哲学はこうだ。
「えさで手なずける他の動物とは違って、猿はアメとムチの割合を9対1にして教えます。勇気を植え付けるために頭を撫でてあげるなど、人間と似ている部分が多いです。絶対に感情的に殴ってはいけないのもそうですしね」
猿の調教は世界チャンピオンに劣らず難しいという。それでも彼は猿の学校の校長として満足しているようだった。
「元々ボクシングのような過激なスポーツをする人間はデリケートなんです。猿と目と目で会話をすれば、子供の頃に戻ったように心が温まります」
しかし、こんな鄭さんでもリングが恋しくなる時があるという。
「猿たちが本当に言う事を聞かない時です」