洋画家、黄珠里(ファン・ジュリ/46)氏の展覧会では、絵を鑑賞する時間が少しかかるかも知れない。多くのストーリーを含んだ黄氏の作品の前に立てば、誰もが隠された絵を探し出すように、自分の物語を一つか二つ発見するかも知れない。
男、女、乾杯、抱擁、携帯電話、タクシー、傘、スーツケース、バス停、テークアウトのコーヒーを飲む男女、香水…。画面を小さく分割して都市での生活、その外と内を描く黄氏は卓越した語り手だ。
「世の中はオムニバス映画のようです。ロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』のようです」。80年代から独自の「黄珠里スタイル」を確立した作家の言葉だ。
黄珠里作品は通常、青緑、紫などのインパクトのあるカラーで描く。ところが今回の展示(28日まで、ノ画廊)では、モノトーンの絵も多数登場する。カラーの絵は日常、モノトーンの絵は追憶だ。「カラーの絵は他人に書く手紙、モノトーンの絵は私自身に書く日記なのです。そしてカラーは化粧をした顔、モノトーンは化粧を落とした顔です」
個別に人と物で一杯に満たされた絵だけを見れば、作家は都心のマンションの最上階に住んで、望遠鏡で世の中のすべてを見下ろしているようだ。ところが黄氏のアトリエは、旧擺撥(グッパバル)から北漢(プッカン)山城の方向にある農園のど真ん中に位置する。
アトリエの壁には数十種類の眼鏡が、まるで採取された蝶のように並んでいる。今回の展示で黄氏は、それぞれ違った絵が描かれた眼鏡で、ギャラリー1階の壁面を埋める。展示のサブタイトルも「眼鏡の向こうに、ぼんやりと昔を思い出すでしょう」。
中学2年生の時から眼鏡をかけている黄氏は、これまで多くの眼鏡を収集してきた。本格的に眼鏡に絵を描くようになったのはここ10年ほど。
「人は死ねば誰もが眼鏡を残しますよね。お父さんのサングラス、おばあさんの虫眼鏡、友達や親戚の眼鏡まで、今までに集めた眼鏡だけでも600個以上になります」
そして、1991年の東欧旅行中に訪れたアウシュビッツ収容所で、山のように積まれたユダヤ人の眼鏡を見てから眼鏡に絵を描くようになった。「眼鏡の墓が、そのまま世の中を映し出した墓のようでした」
「個々人の視力はみんな違います。人の眼鏡をかけて世の中を見ることはできません。ある意味、眼鏡のレンズはひとつの部屋のようなものです。眼鏡のように、世界は数多くの円と四角形でできているのかも知れません。私はちょうどスナップ写真を撮るように、眼鏡のレンズひとつひとつに日々の事件や思い出を描いたのです」
手術で視力を回復できる世の中だが、黄氏は「眼鏡をかけていると、世の中と一定の距離を置けるからいい」と語る。
父親が出版社を経営しており、家には常に原稿用紙が積まれているという黄氏は、「1日1枚」原稿用紙に絵日記を描き、モザイク画を制作するようになった。
「作品の中に、柔らかい爆弾のように文明社会への批判を込めている」という、黄氏の絵画に登場する繊細で孤独なこの世の風景は、何気なく憂鬱だ。
「私の絵は極端に悲しくも、極端に嬉しくもありません。結局、人生とは数少ない劇的なドラマと些細な日常が、曇りの日と晴れの日が、悲観と楽観が横糸と縦糸のように織りなすものではないでしょうか」
こうして「都市のブルース」を声を低めて歌う黄氏の作品は、2005年、ニューヨーク・マンハッタンの地下鉄駅にも飾られる予定だ。問い合わせ(02)732-3558。