「新人弁士」崔周鳳と「最後の弁士」申出の『アリラン』対談

 昔、弁士は映画のヒットを左右する職業だった。しかし無声映画は時代と共に消え、弁士たちの姿も閃光のごとく消えてしまった。

 春史・羅雲奎(チュンサ、ナ・ウンギュ)の『アリラン』(1926)をリメークした李ドゥヨン監督の『アリラン』が30日に公開される。

 今回公開されるこの白黒無声映画を導く弁士は、絶妙なアドリブで名高い俳優の崔周鳳(チェ・ジュボン/57)氏。その新人(?)弁士が「最後の弁士」と言われる申出(シン・チュル/本名:シン・ビョンギュ/75)氏と会った。

崔 「『アリラン』の弁士を探していると聞いて、私も初めは申出先生を推薦しました。私なんか『番地のない飲み屋』みたいな楽劇ばかりで、伝統的な弁士はやったことがなかったからです」

申 「テレビでも見たけど、発声もいいし、演技も上手いのに何を言ってるんだか」

崔 「まだ鼻を垂らしていた頃に無声映画を観た記憶を頼りに手探り状態でやりました。当時は弁士が人々を涙させたり、笑わせたんです。マイクの前で身振り手振りですべてをこなして、あれはまさに弁士の『ワンマンショー』でした」

申 「マイクが何だって?解放前には舞台の上で机にろうそくを点けてシナリオを見ながら肉声で弁士をしたものさ。一度シナリオを見れば、大体の大筋は掴めるから、その次からは初めからろうそくも要らなかったv

崔 「シナリオを見ないのなら、昨日の公演と今日の公演の内容は違うのでしょうね。シナリオを見ても毎日違うのが公演ですよね」

申 「シナリオ通りにただ『こんにちは』なんて言ったら、何だか味気ないじゃない。 『お元気でしたか?お忙しいのにわざわざいらっしゃって本当にありがとうございます』って話すのが仕事なんだから」

崔 「歳月が過ぎるという言葉は、どう表現されましたか」

申 「発音が強いからこれ(入れ歯)外すね。『花が咲き、鳥が鳴く春の日が過ぎ去り、初夏に草木が生い茂り、江南(カンナム)からツバメがいなくなれば、足元には落ち葉が溢れ、突き刺すような風が何度も吹き荒れた。10年の歳月がいつの間にか過ぎたある日だった』」

崔 「今回の『アリラン』で私は、先生のような弁士ではありません。崔周鳳のスタイルでやってほしいとも言われましたし、それに最近の観客の趣向に合わせなければいけなかったので」

申 「でも内容を見ると、羅雲奎の『アリラン』とは似ても似つかない。ヨンジンがおかしくなって家に帰って来るという部分もそうだし、主人公なのに手までしっかりと縛られて部屋に閉じこめられるなんて」

崔 「原作がないためにそうなったんですね。でも最近の若い観客は私の『アリラン』の方を気に入ってくれるはずでは?」

申 「私は15歳の時、初めて弁士の舞台に上がったんだ。昭和16年(1943年)、元山(ウォンサン)まで『アリラン』の公演に行ったんだが、師匠の弁士が突然、母親を亡くして、替わりに舞台に立ったんだ。劇場主は『こんな子供に弁士が務まるのか』と慌ててた」

崔 「見よう見真似で習ったことを初めて実際にやることになり、さぞかし緊張したでしょう」

申 「初日は失敗もなく終わったが、2日目にやっちゃってね。うっかり『日帝(日本帝国)の手先、売国奴め』という表現を使ったら、客席にいた日本の特高に目をつけられて。3日間『誰の指示か』と詰問されて…」

崔 「辞めて正解でしたね。それでも才能があったんですね。15歳の少年が弁士を務めるとは」

申 「そういう思い出のある羅雲奎の『アリラン』なんだ。日本のどこかにあるとは言うが、フィルムの一片も見つからないとはどういうことか」

崔 「探してこないと。それは後輩たちに任せて、先生は弁士・崔周鳳の『アリラン』をぜひ観てください。

評価してくださるでしょう?」

整理=朴敦圭(パク・トンギュ)記者
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