鈴木光司氏「『リング』突風は新しい発想の力」

 タイトルのない不審なビデオテープ。好奇心にかられテープを観た人は暗号のような映像に捕われてしまう。続いてかかってくる電話。「1週間内にこのテープを他の人に観せないとお前は死ぬ」。死の恐怖はビデオという新種ウィルスによって広がっていく。

 ホラー小説『リング』が発表されてから11年が過ぎたが、小説がなげかけた恐怖はそのタイトル通り、響きがさらに広がる様相を呈している。韓国で『リング』3部作(リング、螺旋、ループ)と外伝を含む『リング』シリーズ4巻が最近再出版された。

 日本と韓国に続き、大衆エンターテインメントの本場ハリウッドでも映画化され、1億ドル以上の興行成績を上げている。最近、ハリウッド版『リング』が韓国にも輸入され、新たに人気を博している。

 18日午前、東京市内のホテルで恐怖ウィルスの震源地である鈴木光司(46)氏に会った。『リング』ウィルスが500万の日本読者を感染させ、韓国に続き、世界にまで広がっていく理由は何か。

 「新しさのためですね。これまでホラーの主人公がある実態を持つ怪物-例えばドラキュラなどといった-だったとすれば、『リング』は読者が予想もしなかった全く新しい悪党、すなわちビデオテープという怪物が現れたわけです。常に側にあって、見慣れた電子製品が恐怖を巻き起こす新しい媒体として登場したのだから、読者は面白さを感じる。『リング』の持つ強力な感染力ですね」。

-初めから『リング』の突風を予想したという意味か。

 「この小説の1部は89年に完成したが、発表できまま、2年近く躊躇した。90年のデビュー作は『楽園』という作品だった。しかし、『こんなに面白いのに、なぜ発表しないのか』という妻の話に勇気付けられた。振り返ってみると、伝統的な悪党に飽きた読者は、新しい種類の恐怖を待ち望んでいたようだ。でも正直な話、まさかここまでとは…」。

-日本と韓国で映画に制作され人気を集めたのに続き、ハリウッドでも映画化され、3カ月以上も興行を続けている。東洋的な恐怖が世界市場でも通じたという希望的な分析もあるが、秘訣は何だと思うか。

 「『リング』は極めて論理的な小説だ。私が安易に幽霊でも登場させていたら、西洋人に通じただろうか。DNAやビデオ、ウィルス、増殖など極めて論理的な用語を恐怖の媒体として使うことによって、私の描く恐怖を西洋人も理解できたと思う」。

 「ただ、ビデオをウィルスに仮定するという、新しいけれど話にならない設定を、どのようにして読者が受け入れるようにするかを巡っては悩み続けた。結論は緻密な作戦、即ち、科学的根拠を裏付けることだった。私はこれを“科学の真実が作り出した大嘘”と呼んでいる」。

-『リング』シリーズは情緒的にも既存のホラーとは差のある新しさが感じられる。

 「私の小説は家族の価値と生命の尊さを一貫して描いている。『リング』の恐怖も残忍さよりは妻や娘、友たちを愛する善良な人々の意志に、より重点を置いた。『リング』シリーズを読み終えると、恐怖よりは希望を見出せるようにしたのもそういった理由からだ。個人的には教師の妻の代わって10年間家事と育児をしながら学んだ子供に対する愛情を、どんな形ででも作品の中で表現したかった」。

-ホラー文学の成功の秘訣があるとすれば、反対に避けなければならない禁忌もあると思うが。

 「作家はホラーを書くと言ったら、暗い雰囲気へと追い込もうとする。そうすれば、悪党の猟奇殺人劇や犯罪小説へと流れて行ってしまう。ホラー好きの読者さえも、陰鬱なものは好まないということを念頭に置かなければならない。常に明るい世界と希望を提示することだ」。

-大衆作家として分類されているが、不満はないか。多様な作品を書いていると知っているが。

 「『リング』が最高のヒット作で、多数の外国にこの本の版権を売っているが『リング』を書いた作家としてのみ固定されてしまうのは不満だ。今も3つの作品を同時に書いている。その中にはホラー小説もあるが、意識的に書かなかったものを7年ぶりに書いているものもある。プロの作家は時には自身に強要するよりは読者が望むものに充実に応じることも義務だと思う」。

-大衆小説を書く作家として認識されるのは嫌だと言う意味か。

 「大衆小説のどこが悪いか。私は特定分野の作家として固定されてしまうのが嫌なだけだ。日本ではもはや純粋文学だの大衆文学を分けるのが無意味になっている。重要なのは魅力的なテーマを新たな発想や形式で包み、提示することだ」。

 「作家は文学に対する読者の固定観念を打ち破らなければならない。文学が新しく生まれ変わらなければ読者は離れて行ってしまうからだ。また、固定観念を打ち破ることによって、新しい社会変化までも成し遂げるのが文学の持つ力でもある」。

-純粋文学と大衆文学の差は何だと思うか。韓国では純粋文学作家がストーリーをあまりにも疎かにするという指摘もある。

 「それよりは、文学的面白さを放棄し、考えだけを立て並べる純粋文学と、ただストーリーだけがあり、深い思考は欠けた通俗作品は文学を駄目にすると言いたい。文学を楽しむ理由はいろいろある。ストーリーだけでなく、面白さを感じさせる要素はいくらでもある。ストーリーは弱いかも知れないが、新しい発想で、知的挑戦を刺激したり、秀麗な文章で読者を魅了する文学も、すばらしい文学的面白さを成就していると思う」。

東京=金泰勲(キム・テフン)記者
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