法頂和尚「信頼が崩れればどんな言葉も伝わらなくなる」

 2002年も終わりかけた12月27日の午後、ソウル・城北(ソンブク)洞の吉祥(キルサン)寺で法頂(ポップチョン・70)和尚に会った。和尚は90年代の初め、江原(カンウォン)道の山奥へと旅立ち、四方10里に民家のないところで、1人で生活している。

 法師を務める吉祥寺の法会のため、2カ月に1回上京し、仏教信者の集いである「清く香り良く」の会報を通じて、自分の考えの片鱗を伝えるだけで、一般大衆との接触はほとんどない。

 法頂和尚の今回の上京は、今年9月から吉祥寺で3カ月間、仏教の基礎教理を勉強した人々の受戒式のためだった。150人あまりの人々に法頂和尚は「戒とは、何かをしてはいけないという命令ではなく、自らの誓いであり、車道と同じく、勝手に入り込んでよそ見をしては、事故が起きてしまう」とした。

 法会を終えて出てくる法頂和尚に挨拶をし、吉祥寺の奥に位置する行持室へと席を移した。和尚の弟子であり、吉祥寺の住職である徳祖(トクジョ)僧侶が出してくれた茶を飲みながら、天気を話題に話をはじめた。

 「私の住んでいる江原道には本当に多くの雪が降りました。私の家の周りにも雪が5~10センチほど積もり、雪花が午後1~2時になっても溶けません。壮観ですよ。やはり、寒い時期は寒く、暑い時期は暑くなければなりませんね。都会人たちは温室の植物のように、少しでも寒くなれば耐えられません。人が生きていく上で、気候からくる緊張感がたまには必要なのです」。

-今年7月には北漢(ブッカン)山トンネル工事反対デモの現場を訪れられました。余程のことがな「限り、対外活動をなさらないのに、公的な場所に姿を現したため、メディアの関心が集まりました。

 「最近、環境問題に関心が多い上、收耕(スギョン)僧侶が切願したため訪れました。生命の根は自然です。根が傷つけば枝が傷つくのはもちろん、花を咲かせることもできません。今、私たちの周辺は、開発論理に押され大いに破壊され、生命循環の輪が崩れています。比較的よく保存されていると言われる江原道も、道路や家、ゴルフ場やスキー場を作ると言って、無作為に山を削り、満身創痍になってしまっています」。


 「このように自然を壊してしまうと、必ずその対価を支払うことになります。今年夏の江原道の水害も、これまで勝手に開発を進めたことと関係があります。このような観点から見れば、最近増えている気候の変化も、自然災害ではなく、人災だと言えます」。

-そのように生命と環境が破壊される理由は何だと思われますか。

 「すべての事を人間本位で考えるからです。西洋では『殺人をしてはいけない』と教えますが、東洋では『殺生をしてはいけない』と教えます。人間だけでなく、あらゆる生命が共に生きていくべきだという生命本位へと、発想を変えなければなりません」。

 「大量生産、大量消費、大量破棄のサイクルを特徴とする米国式の生活方式がさらに大きな問題です。資源は制限されています。私たちの子孫も引き続き使わなければなりません。何でも大きくて多いのが良いという考え方を脱皮しない限り、人類の未来は悲観的です」。

 「仏教とアメリカインディアンの知恵が問題解決の助けになるはずです。仏教は自然と森から生まれた宗教であるため、環境に親しい。アメリカインディアンは自然を大事にし、保存することに力を注いだ種族です。インディアンは自分らを追い出し、虐殺した白人により、無知で蒙昧な種族と歪曲されましたが、実は未来を見通す賢い人々だったのです」。

-今年1年間、私たちはワールドカップ(W杯)とアジア大会の開催、大統領選など国家的な行事をはじめ、多くのことがありました。1年間を振りかえり、今、韓国社会に最も必要なことは何だと思われますか。

 「国際的な行事を成功に終わらせ、大統領選まで無地終えたことは本当に幸いなことです。これまでの興奮を鎮め、落ち着いた気持ちで社会の発展のために何をすべきかを共に考えるべき時期です。私は今、私たちにとって何よりも必要なことは信頼感を回復することだと思います。信頼感が断絶されれば、どんな声も聞こえてきません」。

 「しかし、今韓国社会は政府と国民、国民と国民の間に、信頼感が大いに崩れ落ちています。私たちは正直かつ自分の水準に合った生活を営みながら、これまでに崩れ落ちた信頼を回復することに力を注ぐべきです。特に、多くのものを持っている人々の役割が重要です。少しばかり持っているからと、それを誇示したり、浪費すれば、持っていない人々に対する失礼以前に、人間としての道理ではないのです」。

-国民一人一人の心構えはどのように持つべきだとお思いですか。

 「もう少し全体を考える個人になってくれればいいなと思います。トンネルの入口に『トンネルの中にゴミを捨てないで下さい』と書かれた表示板を見るたびに、『他人の見る目がないからと、どれだけゴミを捨てていれば、あのような表示板を付けたのだろう』と考えます」。

 「先進国は個人の自由を保障しながらも、全体と調和をなし、健康な社会を造ることに各個人が一役を果しています。韓国社会はそうではありません。全体は個体からなっているため、個体が病気になれば、全体もやはり病にかかってしまいます」。

-私たちは来年2月、新しい政府を迎えることになります。新しい大統領に頼みたいことは何ですか。

 「大統領を選出する選挙の熱風、勝者と敗者の異なる姿を見て、これが人間の人生なのかと、重苦しい気持ちになりました。どうか、選挙の公約通り、韓国社会がより良い社会になってくれればいいなと思います。建国以降これまで、尊敬される大統領が1人たりともいなかったということは、彼らだけでなく、国民全体にとっても不幸なことです」。

 「新しい大統領は歴代大統領を鑑に、彼らの過ちを繰り返すことなく、任期を終えた後も尊敬される大統領になってくれることを期待しております。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領当選者は政治界での汚染が少ない方だから、そうなるのではないかと期待しています」。

 「メディアも変化すべきです。商業主義から脱皮し、強者にも言うべきことははっきりと言う言論本然の姿に立ち返るべきです。特に、新聞と放送が政治分野をあまりにも多く扱い、国民にストレスと嫌悪感を与えています。生活の一部に過ぎない政治を、国民が些細な部分まで知る必要はありません。私たちは食べずに、そして環境が汚染されては生きて行けませんが、政治がなくてもいくらでも生きていけるのです」。

 法頂和尚は1人で生活をしているが、大きな寺で生活していた時とまったく同じ日課を過ごしている。午前4時に起き、礼仏(仏教の典礼)を行い、参禅した後、読書をしたり、書芸をしながら茶を飲む。午後は薪を集めたり、氷を割り飲み水を汲む。

 山奥で1人生活をしていると、食べて、寝て、排泄することが人生の基本であるということを、改めて思い知らされるという。家から小川へと向かう道、薪を集める場所へと向かう道、便所へと向かう道が動線となるため、その道から雪かきをするという。

 「飲み水を汲みに行きながら、薪を燃やしながら、便所に1人座って、たくさんのことを考え、たくさんのことを学びます。そのものが修行でもあります」。

 法頂和尚は「1人暮らしが長いと、どこにも縛られることなく、自由で良いのだけれど、みんな忙しく生きているのに、自分だけ楽な生活をするのが申し訳なく、たまに未熟な文章でありながら本を書いて、人々と分け合っている」と話した。

 最後に、日常生活のためになる一言をお願いすると、法頂和尚は「人はたまには山や野原、川辺に出て、自然の気とエネルギーを受け入れてこそ、心と体が健康になる」とし、「主に、都会に住んでいる現代人は自然から遠のくほど、病院と近くなるということを肝に銘じるべき」と話した。

李先敏(イ・ソンミン)記者
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