「日帝の清算を政争に利用してはならない」

 今年2月末、一部議員の親日派名簿公開に続き、光復節(8月15日・日本の植民支配から解放された日)前日の14日、民族文学作家会議と一部議員が親日文学家42人を公開するなど、日本帝国(日帝)の清算をめぐる議論が巻き起こっている中、ある西洋史学者が国内で進められている過去の清算作業を批判的に検討した論文を発表した。

 今月18日ソウル大学で開催された「2002史学国際会議」で『過去の清算と歴史叙述―ドイツと韓国の比較』を発表した安秉稷(アン・ビョンジク/47)ソウル大西洋史学科教授だ。

 論文はドイツ現代史の恥辱として記録されるナチズムの展開に、当時の平凡なドイツ市民に責任はなかったのかという問題提起から始まる。少数の戦犯の責任を論ずる点から一歩進み、平凡な市民が個々人の労働と余暇の日常が正常に維持される限り、政治的統制と抑圧、監視とテロを行ったナチズムに協力したと責任を問うのがドイツ学界の“日常史”研究の最近の傾向という。

 安教授は「親日行為を隠ぺいしようとする試みも見逃せないが、30年余りの植民地統治の歴史的責任を少数の親日派勢力にのみ限定することで、より一層深い省察と反省の機会を阻んでもならない」と語る。16日、安教授を訪ねた。

―ドイツの経験に照らし合わせた際、現在国内で進められている過去の清算作業の問題は何か。

「ドイツの歴史学界で、ナチズムはこの数十年間、ドイツ史の中でどの分野よりも量的・質的に豊富な研究成果が挙げられた。われわれは解放直後、親日派の清算のための反民族行為特別調査委員会(反民特委)が挫折し、最近になって過去の清算が話題になる程度に歴史が浅い。そのため副・pもあるようだ。

韓国の過去の清算は、人的清算だけに焦点が当てられている。だが日帝時代(日本の植民地時代)に対す歴史研究と論議をおろそかにしたまま政治や社会運動の次元で接近しては、誤った評価を下す可能性がある」

―人的清算のみに集中すると、われわれが見逃すものがあるとの指摘か。

「過去からわれわれが学ぶには、日帝の支配が36年間どのように維持されたのかを検証すべきだ。そのためには支配階層から一般民衆まで、植民地支配の現実をどのように経験し、植民地支配にどういう態度を取ったのか具体的に知る必要がある」

―解放直後、民族反逆者の処罰に乗り出した“反民特委”が霧散となったため、今からでも親日派を清算すべきだとの声が高い。

「もちろんそういう作業は必要だろう。だが親日問題に政治的・道徳的観点から接近しようとすることには問題がある。勧善懲悪の立場で親日勢力の行跡を暴露するのは、心理的カタルシスはもたらすかもしれないが、望ましい方法ではない。30年余り続いた日帝の支配の歴史的責任を少数の親日勢力にのみ限定することで、むしろより幅広く深い省察の機会を無為にする恐れがある」

―親日派という概念は適切なものなのか。

「ドイツは戦犯裁判をする際、単純な協力者から最高責任者まで五つのカテゴリーに分けて規定した。われわれの場合、親日派とは法的・政治的・道徳的次元が区分されていない曖昧な概念だ。しかも日帝植民地支配に対する韓国人の態度を親日と抗日という両極端の側面だけで把握するのは問題がある。日常史の観点から見れば、日帝時代の大部分の韓国人は植民地統治に適当に順応しながら、個人的な不利益をもたらす摩擦はなるべく避けた。だが度を越えた抑圧と収奪に対しては反発し、場合によっては積極的に抵抗する複雑な態度を取っていたのではないか」

―安教授は日帝の収奪と抑圧、それに伴う苦痛と抵抗を浮き彫りにする方向に韓国史研究が偏っているとの批判をしているが。

「歴史の多様性と複合性に注目する日常史の視点から見れば、日帝時代をあまりにも否定的に見る歴史認識にも問題がある。道が開け、汽車が通り、学校や病院が建つなどの変化が、韓国人に肯定的な影響を及ぼさなかったと言い切れるのか。3・1運動が発生した1919年直後を除き、日帝植民地体制が一度も深刻な危機に直面しなかったのは、日帝統治下で韓国人がそれなりに日常の営みを正常に行っていたからではないのか」

―現在進んでいる過去の清算作業が政治的だと?

「歴史は過去を政治的に審判し、道徳的に断罪するためのものではない。生きている者は抗弁できるが、死んだ者は自らを弁護できない。日帝時代史をきちんと研究することさえ容易でないのに、政争の道具に使ってはならない。歴史学者がこの作業から遠ざけられているのが問題。

歴史を空白のまま放置すると、政治的に歪曲される可能性もあり、危険だ」

金基哲(キム・ギチョル)記者
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