王が飲む牛乳を生産していた 「牛乳所」
駱山城郭の起点、梨花女子大附属病院がある場所には、朝鮮王朝時代、王宮に届ける牛乳を生産するため、乳牛を飼育していた「牛乳所」があった。韓国では三国時代から牛乳を飲んでいたという記録があるが、朝鮮王朝の王で初めて牛乳を飲んだのは、第4代国王・世宗(1397-1450)とされている。朝鮮王朝時代には、牛乳は「駝酪」と呼ばれていた。このため、駱山は「駝酪山」と呼..
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王が飲む牛乳を生産していた 「牛乳所」
駱山城郭の起点、梨花女子大附属病院がある場所には、朝鮮王朝時代、王宮に届ける牛乳を生産するため、乳牛を飼育していた「牛乳所」があった。韓国では三国時代から牛乳を飲んでいたという記録があるが、朝鮮王朝の王で初めて牛乳を飲んだのは、第4代国王・世宗(1397-1450)とされている。朝鮮王朝時代には、牛乳は「駝酪」と呼ばれていた。このため、駱山は「駝酪山」と呼ばれていたという説もある。
駱山公園
「ソウルのモンマルトル」と呼ばれる駱山公園に立つと、とてもすっきりした気分になる。ソウル都心を一望でき、その向こうに雄大な山並みを見渡せるため、ソウルが東西南北の山に抱かれた都市であることを実感できる。その眺望を楽しみ、ところどころに置かれたベンチに腰掛けて足を休めれば、下界とは違った爽やかな空気を味わえる。デートスポットとしても人気があるこの公園は、昨年韓国で絶大な人気を博したドラマ『華麗なる遺産』や『パリの恋人』のロケ地としても知られる。また、夜景スポットとしても知られているため、ここでソウルの夜景を楽しむのもおすすめだ。
駱山公園から市街地へ下るには、大きく三本の道がある。東大門から城壁に沿って上ってきた道を引き返すこともできるが、右側に進めば庇雨堂へ、左側に進めば梨花荘へ行くことができる。
*アクセス: 地下鉄1号線東大門(동대문)駅下車(1番出口からすぐ)、または4号線恵化(혜화)駅下車(2番出口)
駱山展示館
朝鮮王朝時代から現代に至るまでの、さまざまな写真や資料が展示されており、駱山の歴史が一目で分かる。かつて、歴史的に大きな意味を持つ場所だった駱山が、近代化とともに乱開発され、そして往時の姿を取り戻していく過程は印象深いものがある。ただ、説明が韓国語と英語だけで、日本人には不親切な点が残念。トイレや自動販売機もあるため、休憩所としても利用できる。
駱山とは?
朝鮮王朝の都・漢陽を取り囲んでいた「内四山」の一つで、景福宮の東側にあるため、風水思想でいう「左青竜」に当たる山だ。ラクダの背のように、ふっくらとした形をしているため、「駱駝山」とも呼ばれる。現在は周辺に住宅が建ち並んでいるが、朝鮮王朝時代には一面の森で、ところどころに湧き水があり、あずまやが建てられていた。朝廷の役人たちは、この山の渓谷沿いに家を建てたり、近くに庭園を造って、余暇を楽しんでいた。
庇雨堂
駱山公園から約500メートルのところにある庇雨堂は、朝鮮王朝の建国に貢献し、「清白吏」の一人として知られる政丞(首相に相当)、柳寛(ユ・グァン)の邸宅だ。清白吏とは、朝鮮王朝の高級官吏を務めた人物のうち、職務遂行能力に優れ、清廉潔白で質素倹約に努め、高い道徳性を兼ね備えた理想的な人物のことだ。柳寛は全財産を貧しい人たちのために分け与え、雨が降れば雨漏りするようなあばら家に住み、王宮まで歩いて通うほど質素な生活を送っていたという。梅雨時には、かつて科挙に合格したときに贈られた傘のようなものを開き、「わが家は雨をよけることができる。まだマシな方だ」と言って、妻を慰めたという逸話もある。その逸話の通り庇雨堂は、閣僚に相当するような高官には似つかわしくない、かやぶきのあばら家だったという。だが、最近復元された建物は、往時の姿とはかけ離れた形になっているのが残念だ。ところで、清渓川沿いを歩いていると、「庇雨堂橋」という橋があるが、これはかつて、この場所に庇雨堂があったことを記念するために造られた橋だ。
庇雨堂を見たら、次は近くにある紫芝洞泉と青竜寺へも足を伸ばそう。青竜寺は、朝鮮王朝の第6代国王で、おじの世祖に王位を奪われ、その後毒殺された端宗(1441-1457)の妃・定順王后が住んでいたところだ。定順王后はここで毎日、端宗が流され生涯を終えた江原道寧越の方向を眺めながら泣いていたという。一方、紫芝洞泉は、定順王后が洗濯をしたとされる湧き水で、服地を染めて生計を立てていた彼女がここで洗濯をすれば、いつの間にか染料が水に含まれていた、という伝説がある。
梨花荘
駱山公園から恵化洞の方へ下ると、梨花荘が見えてくる。ここは韓国の初代大統領、李承晩(イ・スンマン)が1947年から住んでいた瓦ぶきの家だ。48年7月にはここで、大韓民国の初代内閣の顔ぶれが発表された。その後、60年に夫とともにハワイへ亡命したフランチェスカ夫人は、夫の死後、70年に韓国へ戻り、92年に死去するまでここで余生を送った。李承晩大統領夫妻が住んでいた韓屋は、88年に記念館として改装され、遺品を展示している。個人での見学は許可されておらず、団体で予約するか、または文化解説ボランティアが同伴するウォーキング・ツアーの場合にのみ、見学することができる。
*アクセス: 地下鉄4号線恵化(혜화)駅下車、2番出口から韓国放送通信大学、ソウル大教育学部附属小学校を過ぎたところを左折、約100メートル直進し、梨花洞住民センターを過ぎて左折。上り坂の終点にある。
記事=イ・ヒョンジュ 写真=チェ・ヨンデ
atti/朝鮮日報日本語版
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