2009年に米国で公開されたコーエン兄弟監督の映画『シリアスマン』には、英語の発音がつたない韓国人大学生が登場する。彼が教授との会話で「ミア・サマイズ、サー(Mere surmise,sir=憶測に過ぎません)」と言うと、教授は顔をしかめて「ミア・サー、マイ・サー(Mere sir,my sir=ただの教授、私の教授)?」と聞き返す。これがハリウッドで描かれてきた東洋人の典型的な姿だった。
先月15日に全米で公開されたハリウッド映画『クレイジーリッチ!』(原題『Crazy Rich Asians』)は男女主人公をはじめとするメーンキャストが全員アジア系俳優でキャスティングされている。シンガポール系米国人小説家ケビン・クワンが書いた小説を原作とするこの映画は、中国系米国人監督ジョン・M・チュウが手がけた。男女がドタバタの末、愛の実を結ぶというロマンチック・コメディーだ。公開直後からアジア系観客の入場が相次ぎ、ハリウッドのアジア系俳優たちも映画のプロモーションに乗り出した。この映画は公開から3週連続で北米興行成績ランキング1位となり、約1億1700万ドル(約130億円)の興行収入を上げた。米紙ニューヨーク・タイムズは「ハリウッドでアジア系俳優が主演している映画は1993年の『ジョイ・ラック・クラブ』以来25年ぶりだ。この映画は多様性が持つパワーを証明した」と報道した。
ハリウッドにおける東洋人の役はだいたい限られていた。つたない英語で作り笑いをする人物や、勉強はできるが対人関係はうまくない「ナード」(nerd=オタク)、せいぜい武術にたけている人物というものだった。原作が東洋人の役を映画では白人が演じる「ホワイトウォッシング」(Whitewashing)も一度や二度ではない。しかし、韓国や中国などの経済的・文化的パワーが大幅に強くなり、ハリウッドにおけるアジア系の役や比重も大きく変わってきている。こうした映画が8月に相次いで公開され、「アジアの8月」(Asian August)という言葉も生まれた。
最近の韓国系原作者が東洋系女優にこだわっているのも非常に象徴的な出来事だ。先月17日、映画のストリーミング・サイト「ネットフリックス」で公開されて人気を呼んでいる米国映画『To All The Boys I\'ve Loved Before』(私が愛したすべての男たちへ)は、韓国系作家ジェニー・ハンの小説の映画化だ。この映画のヒロイン「ララ・ジン」にはベトナム系女優ラナ・コンドアがキャスティングされたが、それはジェニー・ハンが映画化契約時、「ヒロインは絶対に東洋系の女優でなければならない」とクギをさしたからだ。ジェニー・ハンはニューヨーク・タイムズに先日寄稿した「いよいよアジアのスターがスクリーンに現れる」というコラムで、「子どものころ、私のあこがれだった女優たちは皆白人で、私はどう頑張っても絶対に彼女たちのようにはなれなかった。映画の中で自分と似ている女優をよく目にするという経験は、辺境から中心へと移動する力を与える」と語った。
このほど韓国で公開された映画『search/サーチ』は、白人が担ってきた役を韓国系俳優が演じているケースだ。この映画の主演俳優ジョン・チョーは平凡な米国の中産階級の父親役を演じている。これまでハリウッド映画でこうした役は間違いなく白人の男優が演じてきたものだった。
ハリウッドのアジア旋風は、米国社会におけるアジアの比重に比べ、映画の中のアジアの比重がひどく小さいことへの反発に端を発するものと見られている。アジア系米国人消費者の購買力は2000年以降257%増加しており、同期間の米国全体の増加率(97%)をはるかに上回った。しかし、南カリフォルニア大学(USC)の研究によると、昨年の米国興行100位内の映画で東洋人の登場人物が1人もいない映画は37本あったという。ロイターは「米国内のアジア社会の影響力が強まるにつれ、アジア系の人物を映画に出演させなければならないという圧力も高まっている」と報じた。漢陽大学文化コンテンツ学科のキム・チホ教授は「最近のハリウッド映画は米国だけでなくグローバル市場での需要を考慮して製作されている。有色人種を前面に押し出した映画はヒットしにくいという定説が崩れ、アジア人の登場人物の魅力が広がっているものと見られる」と分析している。