1894年、米シンシナティで2人の男が8ページの雑誌を出した。タイトルは「ビルボード・アドバタイジング」。直訳すれば「掲示板広告」だ。1人が編集・営業を担当し、もう1人が印刷所を作った。当時の広告は3種類しかなかった。屋外広告、ポスター、新聞・雑誌だ。2人はしばらくして雑誌名から「アドバタイジング」を取った。2人での仕事は長くは続かなかった。投げ出した方が500ドル(現在のレートで約5万5000円)で株を譲渡した。その後もオーナーは何人も変わった。
米国人は「ランキング」が好きだ。映画の「ボックスオフィス(興行成績ランキング)」は1920年代から始まった。10年後、ビルボード誌は商業曲の「ヒット曲パレード」を紹介した後、再び集計方式による「人気曲チャート」を発表した。現在のような形に整えられて1-100位の順位を付けたのは1958年からだ。ビルボードという言葉は韓国の新聞で1970年代に初めて登場する。当時、韓国の若者たちにとってビルボードチャートは「自分たちとは関係ない別世界の話」だった。
韓国が生んだ「ワールドアイドル」防弾少年団(BTS)がアルバムチャート「ビルボード200」で韓国語の歌により1位になった。ある音楽評論家は「韓国の大衆音楽史に残る出来事だ」と言う。これまでは韓国人歌手がビルボードチャートの下の方に名前が出ただけでも「夢の舞台を踏んだ」などと興奮していた。6年前にPSY(サイ)の『江南スタイル』がシングルチャート2位まで行ったが、防弾少年団は今回、アルバムチャート1位になった。
CD市場はあちこちで後退傾向にある。大手も力が弱まった。一方、韓国のアイドルは「10代の専有物」という段階を脱し、大衆文化の中核に成長した。ニューメディアで武装した防弾少年団は時差という壁を越えて世界のファンとコミュニケーションを取っている。自分たちのコンテンツを随時更新し、ファンの渇きを無限に癒やす。『江南スタイル』が1曲だけ大ブレークした一発屋(one-hit wonder)的な人気だったとすれば、防弾少年団のファンは養殖場の魚のようにそこから離れることができない。
ビルボードは今、ジャンルを細かく分けて35種類のチャートを発表している。その中核はシングルチャート「ビルボードホット100」とアルバムチャート「ビルボード200」だ。まだビルボードチャートに入ったことはないが、有望歌手を集めた「アンチャーテッド(Uncharted)」というチャートもある。防弾少年団は今回、ニューアルバムをリリースしてすぐの週に1位になる「ホット・ショット・デビュー(Hot Shot Debut)」を果たした。流通やファンの力はものすごい。今やどんな分野でも「自分たちとは関係ない別世界の話」はないのだ。
金侊日(キム・グァンイル)論説委員