女優キム・ヒソン(40)は最近、さまざまなバラエティー番組に出演し、自分のプライベートを素直に打ち明けている。「義理の母親がお酒をおごってくれる」「ソウル・江南エリアに暮らしながら、家政婦の面接をしたり、子どもの親たちと交流してきたことが、財閥一家に嫁いだ女性の役を演じる上で役に立った」「整形はしていないし、スポーツもしていない」など…。
芸能人が少しひけらかすだけでも批判が相次ぐ時代、反感を買ってもおかしくないが、キム・ヒソンはこのところ最高の人気を誇っている。バラエティー番組にゲスト出演すれば、視聴率がぐんと上がる。レギュラーメンバーとして初めて観察カメラの前に立った『島銃士』(O’live)もたびたび自己最高視聴率を更新している。番組で着ていた服やアクセサリーは「キム・ヒソン・ファッション」として反響を呼び、品切れとなるケースが相次いでいる。青春スターとして圧倒的人気を誇っていた1990年代後半、「キム・ヒソン・ヘアバンド」が全国でブームとなった状況が繰り返されているというわけだ。
ソウル市江南区新沙洞のカフェで会ったキム・ヒソンに秘訣を聞いた。キム・ヒソンは「私は最初から一貫していましたから。イメージがいつも低かったので、何をしてもそれ以上落ちることはありません」と言って笑った。高い声が響いた。「時代が変わったのだから言葉を慎まなければならない、と周囲の人たちが心配してくれているのですが、もどかしくて我慢できません。思わず全て話してしまうんです」
キム・ヒソンは正直な女優の代名詞として知られている。酒好きで「トマト(吐いて飲んでまた吐いて、という意味の韓国語の略)」というあだ名があるとか、搾乳したとき母乳が天井に届くほど吹き出したということも、ためらうことなく話してしまう。撮影で島に行けば、くぎやのこぎりをてきぱきと使いこなす。意外な一面であり、まさに桁外れだ。
「若いとき(16歳)デビューし、お金もブランド品も知らず、ビールを買って飲むお金さえあれば幸せだった。失うものなどなく、世間知らずだったので、イメージなんて考えていませんでした。女優がお酒を飲むと言っただけでCMが打ち切りになってしまうような時代にも、私は正直に話していましたから。それが20年以上積み重なり、最高の財産になりました。私に対しては皆さん広い心で見てくれますし、期待もしていません」
ドラマ『ミスターQ』(1998)や『トマト』(1999)など出演作が相次ぎ高視聴率を記録していたキム・ヒソンも、2000年代に入り、ヒット作に恵まれない時期があった。久しぶりのドラマ『シンイ-信義-』(2012)をはじめ『本当に良い時代』(2014)、『Angry Mom』(2015)で主人公を演じたときも、期待通りの結果は得られなかった。そんな中、40代に近づくにつれ、その美しさとファッションセンス、はつらつとしたイメージがあらためて評価されるようになったというわけだ。ありのままを見せることで好評を得られる芸能界のトレンドにピッタリはまった。「私も(スタイルが)崩れました。だからスタイリストを雇うのではないですか。服で上手に隠そうと。年齢を重ねるにつれて、健康のために運動しなければならないと気付くようになりました」
誰はばかることないキム・ヒソンだが、最近は慎重にならざるを得ない事情が生じた。小学校2年生の娘ヨナちゃんだ。「ヨナの友だちが私の番組を見て、携帯電話で検索するなどして私のスケジュールを教えてくれたりするようです。お酒の話ばかりしたらよくない影響を与えそうなので、自制しようと思います」。キム・ヒソンは「ヨナは私とは正反対です。洗濯はまとめてしなさい、歯磨きをするときは水を出しっぱなしにしてはいけないなど、年に似合わず小言を言うんです。私たち、毎日けんかしています」と語った。
「2年前から母親役を演じるようになりました。『実際に母親なんだからもっとうまくやれるじゃない。母親なのに若くてきれいって言われたらいいじゃない』。そんな風にクールに受け止めようと努力しながらも、ためらいました。『もう旬を過ぎたね、やっぱり老けたね』と言われることが、正直とても怖かったです」。キム・ヒソンは「大きな愛をいただきました。何でも自信を持ってやり遂げる足掛かりになったような気がして、感謝しています」と話した。