「好き嫌い分かれる」SJヒチョル、遠慮のないところも魅力

遠慮のない話しぶり、堂々とした魅力……出演した番組はどれもヒット
「一線を越えるアドリブはしない」

▲パブ風に作られた『人生酒場 シーズン2』の撮影現場で、きょうだいのようにじゃれ合うキム・ヒチョル(写真左)とGirl’s Dayのユラ(写真右)。ヒチョルは「SUPER JUNIORが復活してバラエティー出演を減らさないといけなくなる日まで、昼夜を問わず笑いを届けたい」と語った。/写真=キム・ジホ記者
▲ ▲パブ風に作られた『人生酒場 シーズン2』の撮影現場で、きょうだいのようにじゃれ合うキム・ヒチョル(写真左)とGirl’s Dayのユラ(写真右)。ヒチョルは「SUPER JUNIORが復活してバラエティー出演を減らさないといけなくなる日まで、昼夜を問わず笑いを届けたい」と語った。/写真=キム・ジホ記者

「好き嫌いが分かれるキャラだと思います。不愉快なら、チャンネルを変えていただいてもかまいません。世間の誰もから好かれるということはできないじゃないですか」

 やりたい放題のアイドル歌手が、テレビのバラエティー番組を占拠した。5月31日午後、ソウル・竜江洞の「人生酒場 シーズン2」(tvN)撮影現場で会ったSUPER JUNIORのキム・ヒチョル(33)は、休む間もなく語った。ヒチョルは、遠慮のない話しぶりと率直で堂々とした魅力により、出演した番組はどれもヒットを飛ばしている。「今日だけを生きる男」と呼ばれ、意地の悪いいたずらをよくやるが、決して嫌われない無邪気なところがポイント。視聴率1%台にとどまっていた終わりかけの番組が、ヒチョルのアドリブで話題になってよみがえり、「死んだ番組も心肺蘇生させる」というフレーズが生まれたほど。俳優イ・ムンシク、ホン・ソクチョンがゲストとして出演したこの日の番組でも、専売特許の「予測不能なアドリブ」を連発した。ヒチョルは「きわどいアドリブを飛ばしても、一線は絶対に越えない」という。「視聴率は気にしませんね。ご機嫌うかがいせずに、思う存分跳ねまわるだけ」。

 生まれは江原道横城。20歳の冬に友だちとソウルまで遊びに行き、面白半分で受けたSMエンターテインメントのオーディションにいきなり合格した。母親は「対策もないお前を受け入れてくれたありがたい会社なのだから、30年契約しなさい」と言った。幼いころから勉強とは無縁だった。テレビとゲーム機を抱えて生きてきた。「実業系の工業高校に入っても、学校が終わるとゲームセンターで暮らしていたようなもので、家に帰ったら、まずテレビからつけてました。睡眠不足は学校で補いました」。母親は、ソウルに遊びに行った息子がオーディションを受けてきたと聞くと「お前は失敗しないと、世間は広くて恐ろしいものだと分からないのか」と言った。オーディションのすぐ翌日、電話で合格通知があった。

 勉強のかわりに選んだテレビ鑑賞は、15年後に放送業界で活動する際、大きな資産になった。ヒチョルは、90年代の歌謡曲なら、イントロを聞いただけでタイトルや歌詞、振り付けまで正確に思い出す。テレビだけを抱えて生きる息子にひたすらため息をついていた母親も、今では変わった。「昔の歌をぴしゃりと当てる様子に、『まあ、うちの子は本当に冴えてる』と言いますね」。SMのイ・スマン総括プロデューサー(PD)も「前もって勉強していくのか?」と尋ねるそうだ。

 バラエティー番組には、2005年にナ・ヨンソクPDが演出した『女傑シックス』(KBS)でデビューした。終始「やりたい放題」で、誤解も受けた。直言したら、面と向かって「行儀が悪い」としかられた。「10年前の時点でも、『丁寧』を美徳と思っていましたね。『夜心萬萬』(SBS)に出演したとき、やじを飛ばすギャラリーに『きみの顔はしっかり覚えておいた』とジョークを言うと、(カン)ホドンさんが仰天したりしていました」。ヒチョルは「10年経って、直言をギャグとして受け入れる時代がやってきた。当時は、周りに僕を受け入れる心の準備ができていない状態だったみたい」と笑った。

 ヒチョルは「書き込みは気にしない」と語った。「後輩に言うんです。ネットの書き込みに振り回されるなと。今の世の中は、余りにも多くのことに旧態依然とした意味を付与して、不愉快な視線を助長しているようです。世間の全ての人に合わせることはできないじゃないですか。『嫌い』という人は遠ざけて、『好き』という人ともっと近づくこと。それが僕のテレビ哲学ですね」。

パク・サンヒョン記者
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c)Chosunonline.com>
関連ニュース