【ソウル聯合ニュース】韓国で元祖アイドルと言われる男性5人組グループのH.O.T.が1996年9月にデビューしてから今年で20年になる。
かつて10代の若者の占有物だったアイドル文化はその後、2000年代にアイドル育成システムが定着。大手芸能プロダクションによるビジネス化を経て、韓流ブームをけん引する文化コンテンツに成長した。
韓国コンテンツ振興院の統計によると、韓国音楽産業の市場規模は2005年の売上高約1兆8000億ウォン(現在のレートで約1685億円)から15年には約4兆8000億ウォンに増加した。
◇第1世代アイドルの登場
H.O.T.は1989年にSM企画からスタートし、95年に社名をSMエンタテインメントに変えた芸能プロダクションの創業者でプロデューサーの李秀満(イ・スマン)氏が最初に成功させたアイドルグループだ。
李氏は国内外で実力のある人材を発掘してダンスと歌のトレーニングを行い徹底した企画の下、グループを結成しデビューさせてきた。
アイドル文化は日本が先行していたが10代の人材を体系的に育成し、企画商品のようにデビューさせるやり方は当時、異例だった。
H.O.T.の登場はアイドルグループ時代の幕開けとなった。
SMが97年にガールズグループ、S.E.Sを成功させたのに続き、ほかの芸能プロダクションもピンクル、god、Baby VOXなどを送り出し、第1世代アイドル市場を形成した。
このころソテジワアイドゥルの元メンバー、梁鉉錫(ヤン・ヒョンソク)氏がYGエンターテインメントを、パク・ジニョン氏がJYPエンターテインメントを立ち上げ、SMとともに3大芸能プロダクションとなった。
◇歌手育成システムの広がりと第2世代アイドルの登場
2003年にはSMの東方神起を皮切りに第2世代と言われるアイドルグループが登場し始めた。
SMはその後、SUPER JUNIOR(スーパージュニア、05年)、少女時代(07年)、SHINee(シャイニー、08年)、f(x)(エフエックス、09年)を輩出した。
また、YGはBIGBANG(ビッグバン、06年)、2NE1(トゥエニィワン、09年)を、JYPはWonder Girls(ワンダーガールズ、07年)、2PM(08年)をそれぞれ誕生させた。
少女時代とWonder Girlsの登場は、韓国歌謡界がアイドル市場に変わる転換点となった。
多くの芸能事務所がSMのアイドルグループ育成システムを取り入れてアイドルグループを相次いでデビューさせた。
さらに、SMがK―POPの海外進出の礎を築いた。
2000年に韓国の歌手として初めてH.O.T.が中国・北京で公演し1万人を動員した。これをきっかけに、中国メディアが「韓流」という言葉を使い始めた。
01年にH.O.T.は解散したものの、その年に日本デビューしたBoAが02年にオリコンチャートで首位に立ち海外進出の成功例となった。
ただ、そのときはまだ韓流と言えば「冬のソナタ」などのドラマだった。
K―POPは2000年代後半に第2世代アイドルの活躍とともに韓流の中心に位置づけられるようになった。
11年にSMに所属するアーティストたちがフランス・パリで開催した合同公演は、欧州まで拡散したK―POPブームを象徴する出来事となった。
動画投稿サイト「ユーチューブ」やフェイスブックなどの交流サイト(SNS)の普及もK―POPブームの追い風となった。
◇第3世代アイドルは中国市場がターゲット
いまはK―POP歌手が日本のオリコンや米ビルボードチャートにランクインしたり、ユーチューブでの再生回数が1億回を突破したりするというニュースはそれほど珍しいことではなくなった。
芸能プロダクションが海外市場での競争力強化のためグループのメンバーに外国人を起用することも目新しいことではない。
中国人メンバーがいるEXO(エクソ)、台湾人と日本人メンバーがいるTWICE(トゥワイス)など第3世代アイドルグループは、こうした流れの中で誕生した。
第3世代アイドルグループが狙うのは中国市場だ。
韓国の新興株式市場、コスダックに上場した3大芸能プロダクションなどは、中国資本を誘致したり中国のネット企業と提携したりしている。
アイドル歌手の育成システムを中国や東南アジアに輸出するケースも相次いでいる。
中国やベトナム、タイの芸能プロダクションは韓国のアイドル育成システムを導入し歌手をデビューさせている。