ヘリ(本名:イ・ヘリ、21)は大ヒットドラマ『応答せよ1988』で大金を生み出した。広告収入だけで約100億ウォン(約10億円)にのぼるという。1年前までアイドルグループ「Girl’s Day」のメンバーの1人に過ぎなかったヘリが、あっという間にトップスターの仲間入りを果たした理由は何だろうか。25日、ソウル市城東区内のホテルでヘリにインタビューした。
(1)3秒間の甘え声でチャンスつかむ
「ドクソン(ヘリが演じた役)のオーディションに行ったら、演出が『テレビで見る君の姿が本物なのか偽物なのか気になる』と言われました。(MBCのバラエティー番組『私たちの日曜日の夜』の)「本物の男」コーナーのことでした」。『応答せよ1988』に出演する前のヘリと言えば、2014年に放送された軍隊バラエティー「本当の男」に出ていたことで知られている。当時のヘリは厳しい助教(教官助手)に甘えた声で3秒間愛嬌(あいきょう)を振りまく姿が話題になった。ポータルサイトのビッグデータを見ると、当時ヘリが検索された件数は、今回の『応答せよ1988』放送時に比べても3倍以上多かった。『応答せよ1988』にメーンキャストの1人としてキャスティングされたのも、この「3秒愛嬌」のおかげだった。ヘリは「オーディションに合格するなんてあまり期待していなかったので、リラックスして答えられました。私の話を聞いていた演出に『甘えた声を出していたのは本当に君だったんですね』と言われました。後には『君以外にドクソン役の候補者がいると思ったことがない』とも言われました。本当ことかどうかは分かりませんが、その『3秒愛嬌』が私にプラスになったのは確かです」と語った。
(2)貧しさや苦労も財産だ
「ドラマの舞台になっている1988年という時代は何となく親しみがありました」。ヘリは1994年生まれだが、「小さいころ住んでいた京畿道広州市の町並みも、(ドラマの舞台の)双門洞の町並みと似ていました」と話す。ドクソンの家のように、一部屋で4人家族が暮らしていた。「子どものころは貧乏だと思っていませんでした。ドクソンのように『運動靴は3年間履くもの』と思っていました。隣の家から総菜をもらったり、ご飯を食べさせてもらったりするのが普通の町で暮らしていたからか、『応答せよ1988』が昔の話とは思えませんでした」。
ドクソンがスチュワーデスになって一家の暮らしを支えるようになったところもヘリに似ている。2011年にGirl’s Dayのメンバーとしてデビュー、稼いだお金を少しずつためて、昨年ソウル市松坡区にマンションの部屋を借りた。「芸能界入りした一番の理由は家族のためです」。撮影で一番胸に響いたのも、劇中で祖母が亡くなるシーンだ。「子どものころ、おばあちゃんと下の兄弟3人で2年間暮らしていました。その時のことが思い出されて、泣きながら撮影しました」。
(3)壊れる時はちゃんと壊れなきゃ
「劇中、『壊れる演技』は思い切ってやりました(笑)」。実際のヘリはコツコツと靴の音を響かせて歩き、座る時も背筋をまっすぐにしていた。外またで、背中が曲がっていて、口を開けて座っていたドクソンはどこに行ってしまったのかと思った。「アイドルグループのメンバーとしてデビューしたので、背筋をまっすぐにする訓練を受けていますが、ドクソンはそういう感じじゃないと思いました。そそっかしくて、何かといじられる二女じゃないですか。そういう子は背中を曲げて歩いている気がしました」。あか抜けない髪型や服装はもちろん、転ぶ時の角度や声の大きさまで研究し、「徹底的に『壊れ』ました。『壊れる』時はちゃんと『壊れ』ないと、視聴者の皆さんがドクソンに感情移入できないと思っていました。どうせ失う物は何もない新人女優ですから」と笑った。
(4)体力=競争力
ヘリは「体が丈夫でなくてはいけません。この約4カ月間の睡眠時間は1日3-5時間でした」とも言った。それでも撮影現場では跳ね回っていた。長所は体力があることだそうだ。「私、声がもともと大きくて、撮影監督さんに『(君の声を)聞いていると耳から血が出そうだ』と言われました」。タイトなスケジュールの中、毎日日記も書いた。「ドクソンより一生懸命書いたんじゃないでしょうか」。デビューして1年間は忙しくて「あれほど一生懸命やっていたのに、何も思い出せないことに衝撃を受けて」書き始めた日記が今では5冊を越えた。その日にやったことを振り返り、不十分だったり、直そうと思ったりしたことを書いて反省する。「それも全部、私に体力があるからできることでしょう。(笑)」。のどの奥が見えるほど笑う姿は間違いなくドクソンだ。明るく元気で優しい少女たちがそうであるように、澄んだ声がした。