チャジャン麺発祥の地、仁川を訪ねて

チャジャン麺発祥の地、仁川を訪ねて

 韓国の近代文化発祥の地、仁川。果たして、ここからどのような歴史が始まったのか。中学生の学習支援を担当して3年目になるシム・ウンヒさん(25)=女性=と共に、生徒たちに近代文化を紹介するため仁川に向かった。

■韓国の中の小さな中国、韓国初のチャイナ・タウン

 仁川駅の周辺には、仁川港開港当時の主な建造物がきちんと管理されて残っており、日本や中国だけでなく、当時交流のあった西洋の国々の建築物も見られる。中でもチャイナ・タウンは、仁川では絶対に外せない観光スポットだ。地下鉄に乗ってふらりと仁川駅に降り立ったウンヒさんは、駅前の大きな牌楼(中国式の門)を通り、チャイナ・タウンへと向かった。

 「韓国の中の中国」と呼ばれる仁川のチャイナ・タウンは、韓国で初めての中国人街で、1884年に仁川に中国租界が建設されたのを機に街が形成された。

 中国風の建物と生活様式が垣間見えるチャイナ・タウンに入ると、赤ちょうちんが掛かった赤い建物が目に付く。建物の間の路地では羊の串焼きや中国式のパンが売られ、訪れる人々が足を止めている。

■元祖の味は? チャイナ・タウンのチャジャン麺

 おなかがすいてきたというウンヒさんに何が食べたいか尋ねると、ウンヒさんは迷わず「チャジャン麺(韓国式ジャージャー麺)」と答えた。仁川チャイナ・タウンは、韓国人が大好きなチャジャン麺の発祥の地だ。初めてチャジャン麺を作った店は1984年に閉店してしまったが、チャイナ・タウンには今でも数十軒のチャジャン麺専門店が軒を連ねている。そのうち最も有名な店に入り、チャジャン麺を注文した。

 元祖を誇る店の味はどんなものだろう。まず答えから言えば「おいしい」だ。ウンヒさんは「チャジャン麺にトウガラシとタマネギがたくさん入っていて、しつこくなく、煮込んだタマネギ特有の甘みが感じられる」と話した。

 ただ、残念な点もあった。時代が変わって人々の好みも変わったため、この店のチャジャン麺もそれに合わせている感がある。豚肉とタマネギで作っていた発祥当初のチャジャン麺とは異なり、この店のチャジャン麺にはエビやイカなどのシーフードが入っている。確かにおいしいチャジャン麺ではあるが、もう少し元祖の味を受け継いでいてもいいのでは、と思えてくる。

■一目で分かる仁川の近代史、仁川開港博物館

 チャジャン麺でおなかを満たした後は、本格的に周辺を散策してみる。仁川の開港場(条約や法令によって外国との貿易に使用される港)一帯は、近代文化の建造物が多い。韓国初の近代公園「自由公園」や、中国と日本の治外法権の境界線「清日租界地境界階段」などでは、散策をしながら当時の歴史も学ぶことができる。

 見れば見るほど理解は深まるものだ。ウンヒさんは「開港博物館」でさらに詳しく仁川を調べることにした。開港当時、日本の第一銀行仁川支店として使われていた石造りのこの建物は、外観がそのまま保存されており、仁川の近代史を紹介する博物館として利用されている。

 特に博物館の入り口には、西海(黄海)閘門(こうもん)に関する映像資料があり、子どもたちも理解しやすい。閘門とは水位の異なる河川や運河などを船舶が移動する際に水位を同じにするための装置のことで、韓国では、西海閘門によって初めて沿岸海運と内陸水運が連結された。

■目の前に開く海の道、西海閘門を実際に体験

 映像資料だけでなく、実際に西海閘門を体験することもできる。ウンヒさんは仁川観光の最後に遊覧船に乗り、西海閘門を実際に通過してみることにした。

 西海閘門の体験コースは、沿岸埠頭(ふとう)を出発し、仁川沖から永宗大橋を経て閘門を見学する1時間20分のコースだ。

 沿岸埠頭を出発した2階建ての遊覧船は、1時間で西海閘門に到着。冷たい海風を避けて船内にいた乗客たちも、閘門体験が始まると皆外に出てきて甲板に上がった。

 船が入ってきた閘門が閉じると、徐々に内陸側の閘門が開いていく。西海(黄海)と漢江を結ぶ「京仁アラベッキル(船の道)」へと向かう閘門が開くと、青く光る川の水と茶褐色に光る西海が重なり合う光景が目前に広がった。

 体験を終えて仁川のアラ船着場に降り立ったウンヒさんは「本でしか見られないと思っていた閘門を直接見ることができ、その大きさに驚いた。仁川の開港期を中心に観光したが、仁川の文化にも触れ、歴史も学べるというユニークな経験ができた」と感想を語った。

チャジャン麺発祥の地、仁川を訪ねて

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