1957年、5歳のアン・ソンギは父親に手を引かれ映画『黄昏列車』の撮影現場に行くと、父の友人キム・ギヨン監督に突然たたかれた。
アン・ソンギは大泣きしたが、大人たちは喜んだ。「いいぞ! ちょっと小生意気で演技はうまいと思ったが、泣く演技だけは物足りなかったんだ」
中学3年生までに53本、兵役を務めてからこれまでドキュメンタリーや声による出演を除いて80本の作品に出演した「国民的俳優」のキャリアは、こうしてスタートした。5歳の子どもから、今や還暦を目前にした大俳優アン・ソンギの演技に、同年代の日本人・村山俊夫氏(58)は熱烈なファンになった。
村山氏は1986年に延世大学で韓国語を学ぶため来韓した際、アン・ソンギが野球の監督役を演じた『恐怖の外人球団』を見た。日本に帰国後、京都で韓国語学校の経営を始めた村山氏は、アン・ソンギが出演する映画を50本以上見た。東京国際映画祭ではアン・ソンギの通訳を務め、気さくな人柄にほれ直した。
村山氏は、アン・ソンギの承諾を受け2年半かけて『アン・ソンギ-韓国「国民俳優」の肖像』(岩波書店)を書き上げた。この本は今年初めに日本で発売され、韓国で間もなく出版される予定だ。
韓国版のタイトルは『青春でなくてもいい』(四月の本)。二人は18日、ソウル市中区の明宝アートホールで対面した。
アン「韓国にも評伝を書きたいという方たちがいらっしゃいました。そう言われるたびに気恥ずかしく思っていたのですが、村山さんがそう言ってくださったときは既にかなり作業が進んでいたようで、ストップをかけることはできませんでしたね。完成した本を読みましたが、とてもよく取材されています。『あの映画のフィルムがまだ残っていたのか』と驚いた映画もあります」
村山「映像資料院、インターネットのファンサイト、古本屋、国立中央図書館などをくまなく探し回りました。昨年9月に本人とじっくりインタビューする機会をくださったのも、とても助かりました。周りからは『なぜアン・ソンギなのか』とよく聞かれます。私は27歳のときに韓国語を初めて学んで以来、ずっと韓国を愛してきました。アン・ソンギという俳優を通じて私が愛してきた韓国の姿を日本人にも伝えたかったのです。日本人の中には自分は社会とはかけ離れた存在だと思っている人が多いですが、韓国人は違います。自分も他人もみんな幸せに暮らしていきたいという考え方に魅了されました」