癒えぬ砲撃の傷、それでも美しい延坪島

癒えぬ砲撃の傷、それでも美しい延坪島

 昨年11月、仁川市延坪島で予期せぬ事件が起こった。その事件が残した傷跡は、いまだ癒えぬまま残っているが、徐々に平和な昔の姿を取り戻している。人間の手が加えられていない自然の美しさが残る「延坪島」を訪ねてみた。

 先週末、延坪島を訪れるために「仁川沿岸旅客ターミナル」へと向かった。延坪島行きの船は1日に1便しか運航されていないため、出航時間の確認は必須だ。

 ターミナルの入り口は大勢の観光客で混雑していた。ほとんどは仁川周辺の島に遊びに行く観光客だったが、昨年起こった北朝鮮による延坪島砲撃事件のせいだろうか、延坪島行きの便だけはほとんどが軍人だった。

 快速船に乗って2時間ほど進むと、小さな港に到着した。船を降り、港を歩く途中、網や、ワタリガニを捕るための道具が散乱していた。港を出ると、遠くの方に小さな村が見えた。

 村に行くには連陸橋を渡らなければならないが、その前に立ち寄るべき所があった。橋のたもとにある「第1延坪海戦戦勝碑」だ。この碑は、1999年6月に起こった北朝鮮との銃撃戦での韓国軍の勝利を記念するために建てられたものだ。この戦勝碑を前に、韓国の強い軍事力を実感した。

 村に入ると、延坪島砲撃事件の傷跡があちこちに残っていた。砲弾を受けた建物は粉々に壊れ、黒く焼け焦げた壁は当時の惨状を物語っている。砲撃によって家を失った住民たちは現在、小学校の校庭の隣にあるコンテナの中で生活している。一瞬で生活の場を失った住民たちを見ると、胸が詰まった。

 次に向かった場所は、島の北東側にある「望郷展望台」だ。村の海岸道路に沿って歩けばたどり着くため、行き方は思ったより簡単だった。

 30分ほど歩くと、展望台が見えてきた。長く伸びた階段を上って展望台に上がると、目の前に広大な海が広がった。展望台の真ん中には波をモチーフにした形の「望郷碑」が立っていた。

癒えぬ砲撃の傷、それでも美しい延坪島


癒えぬ砲撃の傷、それでも美しい延坪島

 望郷碑の裏には北朝鮮を見渡すことができる望遠鏡があった。この望遠鏡で北朝鮮の方を眺めてみると、北朝鮮の山の稜線に、赤い文字で書かれた看板が立っているのが見えた。

 公園の入り口にある野生花展望台に立ち寄った後、島の南西側にある「灯台公園」へと向かった。ここは延坪島を訪れる人々が必ず立ち寄る所だ。島の自然はもちろん、過去までも同時に感じることができる上、公園全体の調和が取れたリラックスできる空間だ。

 再び階段を上ると、白い灯台があった。四角く真っすぐに伸びた灯台は、まるで大きさの違う角砂糖を積み上げたかのような印象だ。この灯台はかつて、イシモチ漁の船の道しるべの役割を果たしていた。しかし1974年、国家安全保障の目的で消灯されることが決まり、現在は光も音も出すことのない空間として残っている。

 延坪島で最も有名なイシモチとワタリガニが一度に味わえる「イシモチメウンタン(辛い鍋料理)」を食べてみることにした。手のひら程度の大きさのイシモチとワタリガニが鍋いっぱいに入って出てきた。

 イシモチを皿に取り、身を一口食べてみた。真っ白で柔らかい身はさっぱりとした深みのある味わいだった。真っ赤な辛いスープと一緒に食べると甘みが感じられた。食堂の主人がイシモチの身はもともと甘みがあるのが特徴だと教えてくれた。

 食事を終えた後、仁川行きの船に乗り、延坪島を後にした。大きな汽笛の音が鳴り響き、快速船は海の上を滑りながら仁川に向けて出発した。船の上から眺める延坪島の姿は、いつにも増して平和に見えた。

チョソン・ドットコム・メディア取材チーム

癒えぬ砲撃の傷、それでも美しい延坪島

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