オーディション7回落ちた人気芸人キム・ビョンマン

「睡眠薬を手にしたことも」自伝エッセー出版

 「僕はやっとのことではい上がってきた人間じゃないですか。 (中略)一夜にしてブレークした人は途中で一息つけるかもしれない。でも、僕ははってでも自分の目標まで行くんだ」(著書の序文)

 お笑い番組の「達人」というコーナーでブレークしたキム・ビョンマン(36)は、単なる「お笑い芸人」ではない。子供のころの貧しさを乗り越え、「七転び八起き」の精神で芸人オーディションに挑戦し合格した後、今では多くの人々から愛される「達人」になった「努力の人」だ。

 その彼が自伝エッセーを出版した。『夢があるカメは疲れません』(シルクロード社刊)だ。彼はこの本で自分のことを「カメ」と呼び、過去・現在・未来について淡々と語った。

 全羅北道完州郡で、1男3女の第2子として生まれた彼は「コンプレックスの塊」だった。父親は事業に失敗し借金を抱えたまま飲んだくれ、母親が食堂の下働きをしてやっと生計を立てていた。彼自身も高校卒業後に日雇い労働者として働き、いろいろと苦労をした。 身長が158.7センチということも、彼をいっそう委縮させた。

 しかし、彼は夢をあきらめなかった。ソウルに出て、銅雀区大方洞の家賃が安い屋上部屋で芸人志望の仲間たちと暮らし、MBCの芸人オーディションに4回、KBSの芸人オーディションに3回、計7回落ちたが、8回目の挑戦で2002年、KBS公募第17期生としてお笑い芸人になった。「あちこちの薬屋に行き、睡眠薬40錠集めたこともありました。(中略)しかし、汝矣島のテレビ局のあかりがきれいに見えた夜、大方洞の屋上部屋に立った僕は、わんわん泣き叫びながらも、最後には我に返って歩き出しました」(73ページ)

 KBSのお笑い番組『ギャグコンサート』の長寿コーナー「達人」でブレークしたエピソードもつづられている。リュ・ダム、ノ・ウジンと一緒にコーナーの構成を考えながら感じたドキドキ感、ステージ上で「超絶」パフォーマンスを披露しようと流した涙の跡がうかがえる。あざやすり傷は日常茶飯事だが、「お笑いを見に来たお客さんたちが舞台を気持ちよく見て楽しむには、自分の緊張・痛み・苦しみを見せてはダメ」と話す。

 「映画やドラマなどさまざまなメディアを通じ、スラップスティック・コメディー(ドタバタ喜劇)の神髄をお見せできればいいですね。そして、世界中の人を笑わせることができればうれしいです。

自分がいるところよりもさらに下に落ちようがなかったスタート地点よりも、今この瞬間のほうがもっと頑張りどころだということはよく分かっていますから」

パク・セミ記者
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