「苦労知らず? とんでもありません」
チャン・グンソクは5歳のときに子ども服カタログのモデルとしてデビューした。ドラマデビュー作は10歳だった1997年、ケーブルテレビチャンネルHBSのファミリードラマ『幸福も売まりす』だ。俳優、バラエティー、それに司会まで務めるマルチ・エンターテイナー。最近ではシングルCDがオリコンのデイリーランキングで1位になるなど、歌手としても成功した。多芸多才なチャン・グンソクを疑問視する人もいた。インターネット上には「虚勢グンソク」という言葉でチャン・グンソクを非難するアンチも多かった。チャン・グンソクはスポーツ朝鮮とのインタビューで「昔の話です。大人への壁をやっと乗り越えようという子どもが、子どもらしくないことをしているのが、あまりいい印象には見えなかったのでしょう」とおおらかなところを見せた。
■「リュックを背負い、地下鉄に乗っていた子役時代」
「苦労知らずというのは誤解ですよ」。実際、チャン・グンソクは王子様のようなルックスとは違い、子どものころ貧しい家庭に育ち、物心をつくのも早かった。「小さいころから子役をしていたので、『裕福な家庭に生まれた』と誤解されることが多かったのですが、それは全く違います。子役時代、母親と一緒に来ている子どもをうらやましいと思っていました。僕は一人で服が入ったリュックを背負い、地下鉄に乗って仕事場に行きました」と当時を振り返り、告白した。そして「学校では子どもだけれども、子役は生活していくために飛び込んだ世界。余裕はありませんでした。一人っ子だから自分でやらなくてはいけないと思っていました」と話した。
まだ幼い子にはつらかった過去だが、そのおかげで、どこで転んでも一人でさっと立ち上がろうとする根性が芽生えたそうだ。
■「留学時代? 電気代節約しようと『まき』割った」
チャン・グンソクは中3のときから1年間、ニュージーランドに留学していた。このため、余計に「苦労を知らない」というイメージが付いてしまった。しかし、チャン・グンソクの留学は、金持ちの家に生まれたからではなかった。チャン・グンソクは家庭の事情について詳しい話はしなかったが、余裕があるから留学したのではないということを強調した。「ほかの人たちは余裕があるから留学したのだと思いますが、僕はそうではありませんでした。貧しい留学生だったので、電気代や暖房代を節約しようと、ろうそくをつけて勉強しました。自分でまき割りもしましたよ。考えられないでしょう?」。それでも「ギシギシいう築50年の古い家で、ものすごく貧しかったけれど、家族と暮らして楽しかったです」と振り返る。そして、今では韓流スターになったが「いつになってもつらかった時代のことは忘れません」と語った。