リュ・スンボムは「自分の周りでも自殺に関する話を時々聞くが、そうした事件が多くの人々に影響を与えていると思う。みんな人生にとても疲れているようだから、一度深呼吸してみようよ、という物語を演じてみたかった」と、この作品を選んだ理由を教えてくれた。
この映画で、歌手志望の少女ソヨンをおぶって走ったかと思うと、急な坂道を駆け上がったり、野球に挑戦したりと、1人で何役分もこなすリュ・スンボムは、時に本能的に、時に緻密(ちみつ)な計算に裏打ちされた演技を見せ、孤軍奮闘している。
「僕は直感をかなり信じる方だが、単純に本能にだけ任せるにはリスクが大きかった。だからといって性格上、計算ばかりして演技するのも息苦しい。その二つを行き来しているようだが、重要なのは、計算が必要なシーンでも、(映画客が)見るときはそういう印象を与えてはいけないこと。それが難しい」。
だから、現場ではなるべく多くの人々と意見を交わそうとしているそうだ。「1シーン1シーン、監督とよく相談して作っていくタイプ。アドリブもそうした延長線上で悩んだ」と話す。
演技に関して深く悩む癖は相変らずだ。
「俳優リュ・スンボムと普段のリュ・スンボムを分けることは僕にはできない。演技は形がない物を作り出すことだから、極めて個人的な性向が出ざるを得ない。現実的な枠の中では、何かやりたいことをもっとやってみたいという『渇望』が常にある」。
だから、最近は「いい俳優」というテーマについて悩んでいる。
「事実、俳優は『演技がうまくなければならない』というのは、至極当然なこと。このごろは『自己反省』が大切だとより強く感じる。こうした自分に対する悩みがなければ、一歩前進できないと思う」
「人々に宿題を出し、いろいろ考えさせたり、悩ませたりする何かを残すのが俳優の役割なら、ある意味、いい俳優は『不安定な状態』を受け入れなければならないだろう」というのが、リュ・スンボムの考える演技観だ。
現実と理想の乖離(かいり)の中で、こうした悩みに疲れたとき、リュ・スンボムは人に会う。
「この間、『ひねくれたい人たちの集まり』という会を作りました。アンダーグラウンド・ミュージックをやっている友達が主なメンバーで、互いに『ひねくれよう』と言い合ってよく集まったりします。結局、幅広く交流しながら、自分の何かを作っていくのが人生だと思う」。
そう言って、リュ・スンボムは笑みを浮かべた。