先日、中央高速道路を約3時間走り、安東市豊川面にある河回村(ハフェマウル)へと向かった。村の入り口に差し掛かると、ガードマンが行く手を遮った。そして「村民以外は車での立ち入りはできません。村の保存のため、シャトルバスをご利用になるか、歩いてお入りください」と説明された。
村の入り口は多くの観光客でにぎわっていた。案内図を見ながら歩いて村を回ることにした。
ここは豊山柳氏という両班(官僚階級)一族が約600年間にわたり代々暮らす、韓国を代表する同族集落だ。特に、朝鮮時代の儒学者・柳雲竜(リュ・ウンリョン)と、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のとき領議政という要職に就いた柳成竜(リュ・ソンリョン)兄弟が生まれた場所として有名だ。
まず、村で最初に建てられた豊山柳氏の総本家「養真堂」へと向かった。宝物第306号に指定されているこの建物は村を代表する家屋で、正面4部屋、側面3部屋からなる二軒(ふたのき=2段・3段に配置されている垂木)入母屋造だ。
庭で満開のレンギョウとモクレンの後ろに見える瓦屋根は空に向かって広がり、伝統家屋の素晴らしさを物語っている。庭の中に入ろうとしたが、見学に来た小学生たちでいっぱいだった。小学生たちは建物の前を行ったり来たりしながら、友達との記念撮影にせわしなく動いていた。
人出が多くなってくると、母屋から突然、韓服を着た女性が出てきて「皆さん、村のあちこちに人が住んでいますから、お静かにご観覧ください」と注意した。すると、小学生たちは「人が住んでいる建物とは知りませんでした」と小さい声で言い、小走りでその場を離れた。
この村には今も宗家の子孫たちが暮らしているため、大騒ぎしたり、家の中まで入って行くことは失礼になる。
養真堂を出て「忠孝堂」に向かった。ここは柳成竜の家で、「国に忠誠を尽くし、親に孝行せよ」という意味からこの名が付けられた。
ここは1999年4月21日、イギリスのエリザベス女王が訪れた場所としても有名だ。今もその痕跡が残っており、入り口には女王が記念植樹した木が、奥には女王のために特別に敷いた床が残されている。
その日、エリザベス女王は公の場で初めて靴を脱いだことで話題となった。西洋では、人前で靴を脱ぐのは全身を見せるのと同じだと考えられているが、女王は韓国の文化を尊重し、生活様式に従ったのだ。当時、この場面はイギリスをはじめ全世界のメディアで報道され、村は世界中から注目を浴びることになった。
また、73回目の誕生日を迎えた女王のため、村の人々は韓国の伝統料理でもてなした。女王の食事が用意された場所は、「韓流スター」リュ・シウォンの生家として知られる「澹然斎(タミョンジェ)」だ。リュ・シウォンはエリザベス女王が訪問したとき、村をくまなく案内し、女王は「一番韓国らしい姿を大切にしている場所」と称賛した。
忠孝堂を見て回った後、澹然斎に足を運んだ。この日も大勢の人々が門の前を行き来していた。建物の前には「柳時元(リュ・シウォン)」という表札がかかっていた。
だが、現在は誰も住んでおらず、鍵が掛かっている。外国人観光客は残念そうに門のすき間から家の中をのぞいたり、門の前で記念撮影をしていた。
次に訪れたのは、村の中央にある「参神堂の御神木」だ。ここには樹齢約600年のケヤキがあり、子供を授けてくれ、出産と成長を助ける御神木との言い伝えがある。現在は観光客たちの願い事が書かれた紙が御神木の回りに結びつけられている。
御神木の前で会った日本人観光客(68)=熊本県在住=は「家族が健康でいられるようにとお祈りしました」と語った。また、この村については「韓国の歴史について深く考えるきっかけになったと思います。まだここに人が住んでいるとは、素晴らしいですね」と語った。
最後に向かったのは、村を流れる川の反対側にある「芙蓉台」だ。村の北西から渡し船に乗って行くことができるが、渡し船が運航していない時は車で移動しなければならない。
ここは、太白山脈の端にあたる場所で、洛東江がS字に曲がりくねっている様子や、村全体を一望できる。「河回十六景」に挙げられるこの芙蓉台に登るのも、村の楽しみ方の一つだ。
村を離れる前に会った安東河回村保存会のリュ・ワングン事務局長は、河回村について「洛東江と山脈の美しい自然の中で、豊山柳氏が600年余りにわたり、儒教文化を守り、今も人々が暮らしている村」と説明してくれた。
そして、「この村は2010年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録された。これまでの600年間と同様、今後も韓国文化を大切に保存し、継承していく」と語った。