俳優にとって授賞式でのコメントは、ドラマや映画で演じるキャラクターよりも強烈な余韻となって残ることがある。91年、映画『死の賛美』で青龍映画賞主演女優賞を受賞したチャン・ミヒの「美しい夜です」という言葉は、多くのパロディーを生むとともに、時代を越えて授賞式の象徴となった。2005年の青龍映画賞で主演俳優賞を受賞したファン・ジョンミンは、「食卓論」といわれる名言を残した。「わたしは、スタッフの方々が丁寧に準備してくださった食卓に、スプーンだけ用意して料理をおいしく食べただけ」。この名言は今でも、多くの人々にとって謙虚な受賞コメントの手本となっており、ファン・ジョンミンも「『食卓論』で著作権料をもらわなくちゃいけないな」と冗談交じりに話すほどだ。
そういう意味で、昨年末にSBS演技大賞を受賞したコ・ヒョンジョンのコメントは、「負け」に近かった。コ・ヒョンジョンは「ドラマを作り、演技をし、すべてのスタッフが作業に参加するとき、その結果物や過程は非常に美しいものだと思う」としながらも、「その過程をよく知らない方々は、この俳優はどうだ、あの俳優はどうだ、などと、視聴率だけを取り上げて好き勝手なことを言わないでほしい」とコメントした。
スターの「おごり」は魅力でもある。だが、それにも越えてはいけないラインがある。スターとは大衆あっての存在なのだから、その大衆を尊重するのが最低限必要な態度だ。うわべだけであっても、それは守らなければならない。だが、コ・ヒョンジョンは2010年の「最高の女優」として脚光を浴びた瞬間、分別を失ってしまった。大衆は、時間やお金という形で直接・間接的な対価を支払って、作品を鑑賞する。その大衆にとって、出演俳優を評価するのは正当な権利だ。喜んで応援することもあれば、批判を浴びせることもある。作品を完成させるために全身全霊を注ぐ俳優たちにとってはショックなことかもしれないが、それがすなわちショービジネスの宿命であり、世の中の道理でもある。過程が美しいからといって、結果が必ずしも美しいとは限らない。また、大衆は常に、結果に正直に反応するものだ。だがコ・ヒョンジョンはこの日、視聴者の前で「あれこれ言わないでほしい」と冷たく言い放ち、批評されることを拒んだ。
最近インターネットで、コ・ヒョンジョンの発言をめぐる騒動を再び拡大させた評論家、陳重権(チン・ジュングォン)氏の主張も、ピントがずれている。陳氏は5日未明、簡易投稿サイト「ツイッター」で「謙遜(けんそん)は美徳であって、義務ではない」と発言した。確かに、その通りだ。陳氏の主張通り、コ・ヒョンジョンが「オスカー賞を取るわ」と高らかに宣言していれば、大衆はその意気込みに逆に拍手を送っただろう。コ・ヒョンジョンは実際、それぐらい才能あふれる女優なのだ。
だが、コ・ヒョンジョンのミスは、自画自賛や高慢な態度ではなく、大衆をあざ笑い、軽視する姿勢だった。コ・ヒョンジョンはようやく「いい気分になった女優の、単なる甘えだと思ってほしい」と謝罪したが、それは当然の帰結だ。結局この問題発言の被害は、大衆ではなく、コ・ヒョンジョン本人が受けるべきなのだ。コ・ヒョンジョンにとって今回の騒動は、自分のいる世界や立ち位置がどこなのかを再確認する契機になっただろう。ともかく、年末の授賞式に、また一つ「名場面」が生まれたことだけは、間違いなさそうだ。