■昌徳宮
韓国は1988年、世界遺産協約に加入し、現在8件の文化遺産と1件の自然遺産がある。
韓国旅行中に、世界中の人々が大切にしている文化遺産を訪れるのはいかが? 年月の流れや韓国ならではの美しさがそのまま刻み込まれている文化遺産は、まさしく神秘的な物語の数々を物語ってくれるだろう。韓国世界文化遺産紀行、1回目は朝鮮王朝の宮廷「昌徳宮」だ。
●世界遺産とは
国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1972年に定期総会で採択した「世界文化および自然遺産保護に関する協約」に基づき指定された遺産で、全人類が共同で保存し、子孫に伝えるべき普遍的な価値を持っている。その種類により文化遺産・自然遺産・複合遺産に分かれ、このうち自然遺産は科学的・審美的な観点から卓越した価値を持つ自然地域や、絶滅の危機にひんした動植物生息地などが該当する。
●昌徳宮は
1405年、朝鮮王朝第3代王の太宗が建てた第2の王宮。当初は、王が住むための宮廷「景福宮」の離宮として建てられたが、後の歴代の王たちは主に昌徳宮に住んだため、実質的な法宮(王が生活する宮廷)になり、朝鮮の約500年間にわたる歴史のうち、最も多くの王や臣下が政(まつりごと)を行った場所として記録されている。
まず、昌徳宮の正殿である「仁政殿」、王が執務を行った便殿の「宣政殿」、寝殿の「煕政堂」「大造殿」など重要な宮殿が建てられ、1412年に正門に当たる「敦化門」、1463年には約6万2000坪の後苑(庭園)を約15万坪に拡大した。
景福宮・昌慶宮・慶煕宮などが正門に始まり、正殿・便殿・寝殿などを一直線に配置することで威厳を強調しているのに対し、昌徳宮は周辺の地形を変えず、建築と造景が自然に調和している、最も韓国的な宮廷だと評価されている。特に、王室の庭園である後苑は、30年を超える木や池、あずまやなどが自然と一体になり、東洋的な造景の精髄を見せてくれる。
1997年12月にユネスコ世界文化遺産に登録され、「東アジア宮廷建築史において、非定型的造形美を大切にしてきた代表的な宮殿。周辺の自然環境との完ぺきな調和や配置が素晴らしい」とその遺産的価値を認められた。
●敦化門から大造殿まで
昌徳宮の正門で、「民たちを教え感化させる」という意味を持つ敦化門をくぐり、宮廷内に入ると、まずその静けさに驚く。混雑した道路から少し外れただけなのに、時間と空間にさかのぼってきたかのように、見慣れぬ世界が広がっている。しばらく歩き、その雰囲気に慣れたころ、石橋が見えてくる。これが錦川橋だ。朝鮮の宮廷は入口に、風水的に吉とされる明堂(土地)に水を流し、その上に石橋を架けたと伝えられている。錦川橋の下に流れる水は、実用的な面で言えば、宮廷で火災が起きたときに消火活動に使われ、象徴的な面で言えば、臣下たちが宮廷に入る前、身を清める意味を持っている。
錦川橋を渡り、進善門をくぐると、国の重要な儀式を行った正殿である仁政殿に至る。仁政殿は王の即位式、臣下たちの祝賀会、外国からの使節の接見などが行われた、昌徳宮を代表する場所。2段の月台(踏み石)の上に2階建ての建物が築かれ、威厳を放っている。
進善門から仁政殿まで至る道は石が敷かれているが、よく見るとすべて平らではなく、中央部分が高くなっている。この部分は王が往来した「御道」で、その両側は文官と武官が通った道だという。御道に沿って仁政殿内部を見てみると、その昔、王が座っていた玉座が見える。その後ろに五つの峰と滝、波、松などが描かれた「日月五峰図」のびょうぶが取り囲むように玉座を守っている。外から見ると2階建ての仁政殿だが、内側からよく見ると吹き抜けの1階建て構造になっている。
品階石(品石=宮中正殿の前提に立てられた位階を記した標石)の後ろに並んだ臣下たちに号令する王になった気分で仁政殿を見回し、執務室である宣政殿と御前会議室として使われた煕政堂を経て、寝殿である大造殿に向かう。中央の板の間をはさみ、王妃の寝殿と王の寝殿に分かれている。現在見ることができる大造殿は、1917年の火災で焼失し、1920年の景福宮交泰殿を移して建てたものだそうだ。
●日月五峰図とは?
朝鮮宮廷正殿には、共通して日月五峰図が描かれたびょうぶがある。日と月、五つの峰、滝、波、松が描かれたこの絵は、王を象徴している。日と月は王と王妃を、五つの峰は生命力の象徴で、王室の権威と尊厳のシンボルとも解釈されている。日月五峰図を見ることができるものはもう一つある。それは韓国の1万ウォン札だ。昌徳宮に足を伸ばしたら、日月五峰図と1万ウォン札の絵を見比べるのも楽しい。
文=イ・ヒョンジュ 写真:キム・ソナ