ソウルに近づいた「水のまち」華川


 これまでソウルから江原道華川郡に行くには、信号が多く幅の狭い国道46、45号線を春川方面に走り、道道403号線に入った後、北に約43キロ、くねくね曲がる道を走らなければならなかった。ソウルの江一交差点(ソウル市江東区高徳洞)を基準に117キロ、約2時間30分かかっていた。その2倍はある慶尚北道金泉市庁まで(234キロ)=ソウル市庁基準=も、約2時間30分(慶釜高速道路利用)しかかからない。ソウルから釜山まで、韓国高速鉄道(KTX)を利用すれば、同程度の時間(2時間43分)で到着できる。

 しかし、そんな華川行きが少しだけ便利になった。7月15日に開通した、ソウルと春川を結ぶ京春高速道路を利用すれば、華川までの所要時間は2時間。従前より20%短縮されたことになる。華川だけではない。加平など京畿道北部をはじめ、春川や華川など江原道西部まで、「手軽に日帰りできる名所」に変身し得る条件が整ったことになる。

 江原道華川近くの道で一番目に付く言葉は「部隊」。あちこちに点在している軍部隊の閉鎖性と、旧軍事境界線の北側という地理的な特徴が、人々に華川に対する心理的な距離感を与えていた。北漢江の上流にある「水のまち」が7月15日、京春高速道路の開通とともに、約30分ソウルに近づいた。


 高速道路の開通を目前に控えていた7月9日、華川はとても静かだった。春川から華川に向かう道の右側にはいつも「水」がある。北漢江、破虜湖、平和のダム、 蔓山洞渓谷、 竜潭渓谷…。郡庁でもらった観光地図を広げてみると、あちこちに「水」がある。だからこそまちの名前も「華やかな川」と付けたのだろう。静かな湖や川の上には悠然とした雲が浮かんでいる。高麗末から朝鮮初期に活躍した学者・李之直(イ・ジジク)は「東国輿地勝覧」に、「華川は雲が近く、服がぬれるほど」と書いている。

 華川郡庁から約32キロ進むと、幾度も論争の的になった「平和のダム」に到着する。ダムのすぐ隣にあるムルムン会館(江原道華川郡華川邑東村里321-4)の資料には、「以前は“問題の山”だったが、今では“宝の山”」と説明されている。

 1980年台初め、学校で「平和のダム募金運動」に参加した経験のある30代、40代の人たちは、このダムの誕生にまつわる「恐ろしい話」をまだはっきり覚えているという。北朝鮮が金剛山に大きなダム(イムナムダム、当時は『金剛山ダム』と呼ばれた)を作っていることについて、韓国政府は「万一のときにこのダムを爆破すれば、北朝鮮は63ビル(ソウル市永登浦区汝矣島洞)の3分の2を水中に沈めることができる」とし、これに対抗するかたちで87年、華川で「平和のダム」の建造に着工した。北漢江上流に作ったこのダムは、幸い20年以上の間、当初の目標を果たすことなく、現在は「魅力的なドライブコース」となり、観光名所としての役割をしっかり果たしている。


 「平和のダム」から「ピスグミ」と書かれた標識に従って上る道ではなく、狭くくねくね曲がった道を10分程度進むと、山すそにたどり着く。同地は水かさが増えると車で通ることができず、住民たちに予め電話をして船で向かわなければならないほど山奥の村だ。「平和のダム」を囲む山々が、湖のように青く澄んだ空と一体となった自然の風景。そこにははるか昔の韓国の姿がそのまま残っているようだ。

 問い合わせは華川郡庁観光政策課まで。

華川=キム・シンヨン記者
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