インタビュー:イ・インへ、女優から教授へ(上)


 顔も頭も家柄もいい女性のことを、韓国では「オムチンタル(お母さんの友達の娘という意味の韓国語を省略した言葉)」または「オムチナ(お母さんの友達の息子という意味の韓国語を省略した言葉)」と呼ぶ。芸能界の代表的な「オムチンタル」から、韓国芸術総合学校の「最年少教授」になった女優イ・インへと母親のイム・ヨンスン教授にインタビューした。

 1992年、創作童謡フェスティバルで歌う可愛らしい姿がテレビ局のプロデューサーの目に止まり、芸能界にデビューしたイ・インへ。その後、さまざまなドラマに出演して安定した演技を見せ、今では大人の女優として認められている。

 「インへが最年少教授になったという知らせを聞いて、たくさんの質問を受けました。どういう風に勉強をさせれば教授にすることができるのかと。わたしはまず、インヘに勉強を楽しむ方法を教えました。テストの日にはチョコレートやキャンディーと一緒に、手紙を書いてプレゼントしました。『今日は待ちに待ったテストの日だから、ピクニックに行くような気分で楽しんできてね』って」

 こんな風に言ってはいるが、母親のイム教授は娘に人並み以上のことを教えている。恥ずかしがり屋の娘に自分の考えをしっかり伝えることができるよう指導し、感性を豊かにするために伽耶琴(カヤグム)とクラシックギターを習わせ、ボーリングやテニス、卓球などのスポーツも教えた。

 「教授にならないかと誘われた時はとても迷いました。わたしにはまだ足りない部分が多いのに、とてつもなく大きな仕事を任せられたと思ったからです。でも、ただ大学の宣伝のためだけにわたしを採用したとは思いません。これまで演技をしてきた経験と学んできたすべてのことを学生たちに教えたいと思います」

 イ・インへは向上心の強い女優だ。演技の経歴だけでいえば18年。中堅俳優クラスの経験を持っているといえる。

 「今回、ドラマ『千秋太后』に出演することになったきっかけは、2006年にドラマ『黄金のリンゴ』でご一緒させていただいたシン・チャンソク・プロデューサーの作品だったからです。わたしは06年、『黄金のリンゴ』に出演したくてオーディションを受けに行きました。そのときわたしが演じたかったのは、釜山の方言を使う女性の役でした。一生懸命取り組んだのに、わたしが練習していたのは釜山の方言ではなく、大邱の方言だったんです(笑)。オーディションには見事に落ちました」

 しかしチャンスは再びやって来た。最終的にキャスティングされた女優の演技力に問題があり、再びオーディションを受けるよう連絡が入ったのだ。がむしゃらに釜山の方言を練習し、再びオーディションを受けた。

 「新人でもないのに、カメラテストまで受けました。プライドが傷付かなかったと言えばうそになりますが、一生懸命頑張りました。結局、オーディションに合格し、出演が決まりました。

ドラマの回が進むにつれわたしの比重が徐々に高くなり、とても演じがいがありました」

ペク・ウニョン記者
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