インタビュー:ユン・テヨン「俳優人生、まだ2回表」(上)


 1999年、ドラマ『ワンチョ』で知的障害を持つ「メンバル(裸足の意)」役を好演したユン・テヨン。『その女の家』『あの青い草原の上に』などで演技の幅を広げてきたユン・テヨンは2007年、ドラマ『 太王四神記』でペ・ヨンジュンとカリスマ対決を繰り広げ、視聴者の目をくぎ付けにした。大きな刀を片手に馬を乗りこなした勇敢な高句麗の武士が、今度はイ・ヒョンセ原作の漫画『恐怖の外人球団』をドラマ化した『ストライク・ラブ』(MBC)で野球の球を握る。

 97年にデビューし、俳優生活13年目。ユン・テヨンはまだ進むべき道は遠いと話す。「野球でいえば、僕の俳優人生はやっと2回表に入ったころでしょうか」。ユン・テヨンに野球、演技人生について聞いてみた。

(1)週7日撮影、4日間で4時間しか眠れなかったことも

-たばこはやめたのですか。
「いえ、むしろ増えました」

-それは視聴率に対するプレッシャーから?
 「プレッシャーを感じているのは事実です。でも実際、僕より周りの方々がもっと緊張しているようです。所属事務所や制作会社の方々が僕の側を通り過ぎる時、『おい、気楽にな』などと励ましの言葉をかけてくれるのですが、そう言われるほど逆に緊張します(笑)」

-ドラマの撮影のない日は主に何をしていますか。
 「週7日勤務です。4日間で合計4時間しか眠れなかったこともあります。先日は手術後に病院で点滴を打つシーンを撮影したのですが、そのとき実際に点滴を打ってもらいました。そのシーンは麻酔からなかなか覚めないというシーンだったのですが、ベッドに横になっているうちに本当に眠ってしまいました。目が覚めると、スタッフの話し声だけが遠くで聞こえて、すべて片付けられていました。監督が来て、もっと眠っていてもいいと言ってくれました。眠る時間もないほどハードな撮影だったんです」

(2)投手から打者に転向した選手はすごい

-運動中、実際にけがをしたことはありますか。
「米国にいた時、大学のラクロスチームに入っていたことがあるのですが、試合の途中であごをけがしたことがあります。けがは完治したのですが、怖くなってしまい、ラクロスはやめました」

-原作漫画でオ・ヘソンは右肩をけがした後、投手から左打者に転向しますが。
「オ・ヘソンは肩のじん帯をけがしたことにより、野球人生が終わってしまうのですが、普通の人間には克服できないほどの訓練を受けて再起します。張本勲(韓国名張勲〈チャン・フン〉)選手をご存知ですか。有名な投手だったのですが、けがのために打者に転向した後、最多安打記録を残しました。今回、野球を学びながら、張本選手や宣銅烈(ソン・ドンヨル)選手、ク・デソン選手のような人たちがどうして偉大なのか、少しは理解できたような気がします」

 日本プロ野球で大活躍した在日韓国人の張本勲は、王貞治とともに1970年代の日本プロ野球を代表する強打者だった。23シーズンの間、通算3085安打で、最近まで最多安打記録を持っていた。

クォン・ヨンハン記者
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