「この町では鶏かゆだけは目をつぶっても作れます」
5日午前、京義道城南市寿井区丹垈洞にある南漢山城登山路入り口近くの「鶏かゆ村」で会った「草原の家」のオーナー、イ・エスクさん(57)は、この町をこのように紹介した。この地域には30年以上の歴史を持つ店が多く、「鶏かゆ」だけは自信があるという意味だ。イさんもここで30年間、「鶏かゆ」専門店を営んでいる。道の両側に並ぶ瓦ぶきの2階建ての建物には「鶏かゆ」の看板が並び、それぞれに数十年の歴史が感じられる。「草原の家」というイさんの店には「鶏かゆ作って30年」、「全州ガーデン」には「36年の歴史を持つ店」という看板がかかっていた。「鶏かゆ村」にある鶏かゆ店は22カ所。周辺の地域に分散している鶏かゆ専門店まで合わせると、計38店ある。
1970年代まで、南漢山城には大きな釜に鶏とニンニクをたっぷり入れた水炊きかナツメと高麗人参入りの参鶏湯(サムゲタン)程度しかなかった。これらの料理が時の流れとともに進化を遂げ、鶏かゆになった。この鶏かゆは鶏・ニンニク・高麗人参・ナツメ・栗などをもち米と一緒に素焼きの土器で煮込み、おかゆ状にしたこの地域特有の料理で、一部の店ではもち米で炊いたご飯を最初から入れず、鶏肉を全部食べた後、残ったスープでおかゆを作るところもある。
鶏かゆ屋が増えてきた1998年、城南市が登山路の入り口周辺2キロの地域に「南漢山城鶏かゆ民俗村」を作り、城南市の名所の一つにした。
◆ピークのときは1日6000人以上が来店
ここの鶏かゆは、城南と南漢山城を代表する料理として定着した。城南市の調査によると、春と秋のピーク時には1日約6000人が訪れるほどの人気で、ピーク時の売り上げは一日6400万ウォン(約440万円)に及ぶ。顧客のうち城南の住民は46%に過ぎず、残りはソウルや京義道などほかの地域の人たちだ。ここの鶏かゆのおいしさが口コミで広がり、遠くからやって来る人も多い。城南市のシム・ヒチョル保健衛生課長は「南漢山城の鶏かゆが全国的なブランドになれば、毎年顧客が20%以上増えることが予想される」と話した。
南漢山城の鶏かゆが有名になるとともに、これを加工した鶏かゆ缶も人気を集めている。城南市が2007年9月、韓国食品研究開発院に依頼して作り、現在東遠F&Bが委託生産しているこの鶏かゆ缶は、南漢山城鶏かゆ村の調理法をそのまま生かしている。一つ2600ウォン(約170円)で、昨年11月28日から先月末まで、城南市盆唐区ソヒョン洞のAKプラザで試験販売したところ、計6071個売れた。城南市はこの鶏かゆ缶の販売収益で食品振興基金を設立し、鶏かゆ村の整備などに使用する予定だ。城南市は鶏かゆ缶が今後も人気を集めれば、10月から本格的な生産システムを整え、全国の大型スーパーやデパートなどで販売する予定だ。
◆代々伝わる鶏かゆ人生
全国的な名所となった南漢山城の鶏かゆ村は、一朝一夕にでき上がったものではない。数十年間、鶏かゆ一筋に歩んできた鶏かゆ村の人たちならではのノウハウがある。
「ノダジ」の主人ユン・ソクニョさん(66)は、1975年から南漢山城の渓谷で鶏かゆを売り始め、今年で34年目になる。ユンさんは高齢なのにもかかわらず、今も自ら鶏かゆを作っている。ユンさんは数十年間続けてきた鶏かゆ店を引き継がせるため、8年前から三男ユジンさん(39)と嫁のキム・ジョンスクさん(33)と一緒に鶏かゆを作っている。ユジンさんは国民大学法学部に2年間通った後、軍隊に入隊、除隊後は母の家業を継ぐ準備をしている。
◆競争が最高の鶏かゆを生んだ
それぞれの店が鶏料理に対するプライドを持っているが、数十件の鶏かゆ専門店が同じ料理を出しているため競争は激しい。この競争がおいしい鶏かゆを生んだ。
「味に沿って道に沿って」のサ・ミョンスンさん(62)は、おいしい鶏かゆのために漢方関連の本を読み、漢方薬の材料の卸し売り店でいろいろな話を聞きながら漢方薬について勉強した。サさんは鶏かゆを作るとき、漢方薬に使われるおうぎ3-4本を入れ、鶏肉のにおいを消している。また、緑豆を加えこくを出した。
鶏かゆ店を営んで30年という「テチョンマル」のチャン・ジョンイムさん(65)は、鶏かゆに五加皮を入れた。五加皮を加えたチャンさんの鶏かゆは後味がさっぱりしているのが特徴。チャンさんは全羅北道扶安郡に住む弟チャン・ヒョンハさん(57)が山で採った五加皮だけを使っている。
◆協力が共同のブランドを作る
しかし、競争だけでは今日の南漢山城の鶏かゆは誕生しなかったかもしれない。この地域の鶏かゆ店のオーナーたちは鶏かゆが美味しくなる秘訣を発見すると、これをライバル店にも教える「助け合いシステム」で協力し合っている。これが「南漢山城鶏かゆ村」が名声を得ることができた秘訣だろう。この地を代表する鶏かゆ自体、1986年にある鶏専門店が最初に作り始め、ほかの店に広がった料理だ。
「一番地」のイ・ウジョンさん(67)=鶏かゆ村繁栄会長=は、「村全体でおいしい鶏かゆを作らなければ、『南漢山城の鶏かゆ』というブランドは長続きしない」と話した。