イ・ナヨンは魅力的で謎めいた存在だ。パターン化された美しさではなく、カメラの角度により変わる顔。純真さの象徴のようなCMで見せる表情と、映画で見せる衝動的で挑発的な表情はまるで正反対だ。不可解な魅力。キム・ギドク監督の新作映画『悲夢』(9日公開)でイ・ナヨンがスクリーンに帰ってきた。ソン・ヘソン監督の悲しいラブストーリー『私たちの幸せな時間』(2006年)からちょうど2年。その「天然っぽい」言動から「元祖4次元」とも呼ばれている女優はインタビューの間中、ずっと好奇心にあふれた猫のような目でニコニコしていた。
―久しぶりの映画出演ですが、演技活動から離れている間、一番よくしたことは?
「(腕をだらんと垂らして)2年間ムダに過ごしました。フィットネスクラブに一生懸命通ったんですが、ムキムキになりすぎちゃって。腕が顔くらいの太さになるほどですよ。回りの人たちに“今すぐやめて”って言われるくらい。それからダイエットもしました。だからどうって言うこともないんです。むなしく過ごしました」
―「オフが長すぎるのでは」という不安はありませんでしたか。
「休もうと思って休んだわけじゃないんです。『私たちの幸せな時間』がすごく悲しい物語であまりにも落ち込んじゃったから、次はもっと面白くて楽しい映画がやりたくて。ですが、それらしい作品がなく少し先延ばししていたら…韓国の映画産業がこんなに落ち込んじゃうなんて」(ため息)
―不安について話していましたが。
「あ、そうですね(笑)。次の作品が決まる前にグラビアの撮影をしたのですが、きれいにメークしたのになぜか“カサカサした感じ”って言われたんです。でも、今回の『悲夢』の撮影では、すごくやつれたのに“目が生き生きしている”って言われました。仕事がないのが不安なんじゃなくて、作品がないのが不安なんです」
―キム・ギドク監督作品は低予算で有名です。当然、出演料も少ないですよね。ある種の芸術的な投資だったのですか?
「そんな立派な言葉はよく分かりません。わたしの芸術的な価値を高めるため? そんな考え、わたしにはできません。うちの事務所(BOF)は分かりませんが…。ただ台本が、役柄が突き刺さりました。スポンジのように吸収する感じというか…。わたしってもともとそうなんです。感覚が大切な人なんです」
―プロットを見てもそうだし、ほかの俳優さんの露出を見てもそうですが、イ・ナヨンさんの露出だけないのがむしろ不自然な気がします。それは監督の配慮? 本人のこだわり?
「(笑)両方です。なぜかキム・ギドク監督に対する先入観があるんです。“強い”っていう。でも、初めて会ったときに真っ先に“露出については心配するな”とおっしゃってくださいました。わたしもまだ自信がなかったし。また、どういうわけか、皆さんもわたしの体にはあまり関心がないようです。中性的な感じだからかな? 大学時代、友達がクラブに行くときも、わたしは誘われないんです」
『悲夢』でイ・ナヨンが演じたランは、愛に執着する男から死に物狂いで逃れようとする女の役だ。執着と逃避の論理的な理由よりも、その瞬間のイメージや感情の表現に重点が置かれている作品。ストーリー物に慣れている観客には「親切ではない」と指摘すると、「わたしももともと不親切な女優じゃないですか」と笑う。大衆の普遍的な愛よりも、マニア的なファンから熱狂的に支持される女優というこれまでの自分がたどってきた道をちょっと自虐的に語っているのだ。
―CMで好感度が高い女優の一人に挙げられていますが、それで得たものと失ったものは?
「得たものは実際の顔よりきれいに映っているということかな? もちろん、メークや照明のおかげですが。よくないことは、限定されたイメージです。だから映画ではわざときれいな服を着ないんです。本当のわたしによく似合うのは、(入院)患者の服です。患者の服を着ていると、特に演技する必要がないから」
―どんな女優になりたいですか。
「少し前、ケイト・ブランシェットの映画をDVDで見ました。『あるスキャンダルの覚え書き』という作品ですが、ある瞬間で再生を一時停止して、その女優の顔を見ました。とてもきれいで魅力的な。それで思ったんです。こういう風に止めておいたら、オーラをもらえるんじゃないかって(笑)。自分ならではの感じを失ってはいけないと思います。それを逃せば、わたしはなくなってしまうから」
▲キム・ギドク監督の新作映画『悲夢』でスクリーンに戻って来た女優イ・ナヨン。本紙の読者にメッセージをくれた。