インタビュー:帰国した桂銀淑、その後の近況(下)


◆「韓国に戻ってくればいいことがあります」 

 辛い帰国。桂銀淑は韓国に戻ってきた8月2日午後、どのメディアともインタビューをしないまま、ずっとソウル市江南区の自宅にこもっていた。家に訪ねてくる知人たちとは会ったが、教会の礼拝に行く以外は外出を控えた。桂銀淑と母親ソン・ジョンヨルさんは熱心なキリスト教信者だ。1992年の桂銀淑の結婚式は、汝矣島の純福音教会で行われ、チョ・ヨンギ牧師が主礼を務めた。

 8月6日昼、桂銀淑の自宅を訪ねた。家の中から人がいるような声が聞こえたが、何となくベルを押してインタビューをお願いすると警戒されそうだったため、門の前で桂銀淑が出てくるのを待つことにした。その日は8月の中でも、特に暑い日だった。門の前で待ってから1時間ぐらいが経過しただろうか。桂銀淑はラフな格好で片手に扇子を持ち、どこかに向かっていた。彼女を追いかけ、きまり悪い感じであいさつをした。桂銀淑はとても明るい表情で、記者のあいさつを受けた。

桂銀淑「こんなに暑いのに、外でずっとわたしを待っていてくれたんですか。大変ですね」

女性朝鮮「大丈夫です。表情が明るくて元気そうですね。どこかに行く途中ですか」

桂銀淑「母親に冷たい飲み物を買ってこようと思って」

女性朝鮮「お母さんの具合はどうですか」

桂銀淑「あまりよくありません。糖尿の合併症と骨粗鬆症がひどくて、何日か前には足もけがしました。最近は1日が大切です。長い間、歌手活動のために母親のそばにいられなかったため、とても申し訳なくて、心が重いです。これからは母親と離れず、最後まで一緒に暮らすつもりです」

女性朝鮮「桂銀淑さんの健康はどうですか」

桂銀淑「わたしはあらゆる精神疾患に苦しめられ、今も胸が辛いです。大学病院に通いながら治療を受けています」

女性朝鮮「日本で起こった事件について、言いたいことがたくさんあるでしょうに」

桂銀淑「デリケートな話は誤解を招くかもしれないため、このように記者の方に個人的に申し上げるのは難しいです。近いうちに公式インタビューの日程を組んで、その席で申し上げます。そうすれば誤解は招きませんから。そしてインタビューは日本の事務所と合意が必要です。日本からよくない理由で戻って来ることになりましたが、事務所との契約関係は最後まで守りたいです」

女性朝鮮「今回の件もそうだし、日本の歌謡界に未練が多いようですが」

桂銀淑「わたしは韓国と日本の友好のために多くの努力を傾けました。韓国の歌謡界もわたしの成果は認めてくれています。わたしの問題が解決すれば、韓日関係もよくなると思っています。すべての問題を解決し、また再起できるように一生懸命頑張ります」

女性朝鮮「韓国での活動計画はありますか」

桂銀淑「そういうことを話すにはまだ時期が早いです。申し訳ありません」

女性朝鮮「それでも韓国に戻って来たから気持ちがラクでしょ?」

桂銀淑「もちろんです。韓国に来たら思い切りいいことがあります」

 桂銀淑は記者に対し、多くを語れないことを申し訳なさそうにしていた。そして何かあげなければいけないと思ったのか、「飲み物も差し上げられなくてすみません」と言って、「暑いからあおいでください」と手に持っていた扇子を記者に手渡してくれた。そして一つ頼み事を述べた。「母親の具合が好転することを祈ってください。手紙みたいなものを書いてくだされば、大きな力になるはずです」と。そうして彼女は先ほど行きかけた方向にそそくさと歩いて行った。

 8月18日、桂銀淑の家にもう1度訪れた。彼女を撮影したのはこの日だ。玄関の門を叩くと、母親のソン・ジョンヨルさんが記者を迎えてくれた。ソンさんは記者の訪問を非常に警戒していた。もしかして娘のじゃまになるようなことが起こるのではないか、と心配している様子だった。母親は自分の体も健康ではないのに、しきりに娘の心配ばかりしていた。

 「かわいそうです。日本の人たちは表ではとても人間的ですが、裏ではそうでもないようです。20年以上も苦労させておいて、どうしたらこんな風にできますか。悔しくて、娘がかわいそうです。娘は体の状態がよくありません。精密検査を受けて、しばらく治療をしなければならないようです。

今は健康を祈っています」

チェ・グクテ記者 , 写真=アン・ホソン記者
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