インタビュー:帰国した桂銀淑、その後の近況(上)


 昨年冬、覚せい取締法違反(所持)の罪で、執行猶予を宣告された桂銀淑(ケー・ウンスク)=47=が寂しく帰国した。言いたいこともたくさんあっただろうが、これまで数年間とても疲れていたため、まずは体調を整えることにした。記者と会った桂銀淑は、それでも韓国に帰って来てよかったというようにほほ笑み、本音を打ち明けた。

 桂銀淑が20年以上活動していた日本を後にし、韓国に戻ってきたのが今年8月2日午後だった。普段なら取材陣やファンから熱烈な歓迎を受けただろうが、今回の帰国は静かだった。寂しい帰国。彼女の手には小さなかばんだけ、横には母親ソン・ジョンヨルさん(85)がいた。

 昨年11月末、桂銀淑は東京都内の自宅で覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕され、12月に裁判所から懲役1年6月、執行猶予3年を宣告された。

 海外で実刑を宣告されると、ビザが延長できない。そのため当初、桂銀淑はビザ有効期間が満了する5月に帰国するものと思われていたが、3カ月遅れて韓国に帰ってきた。その間桂銀淑は、ビザ発給の再審査を受けていたことが分かった。しかし結局、ビザの再発給を受けることはできなかった。

 1977年にCMモデルとしてデビューし、79年から歌手として活動していた桂銀淑は人気絶頂だった85年、突然日本進出を宣言して韓国を後にした。韓国ではポップス歌手だったが、日本では演歌歌手に変身。デビュー曲『大阪暮色』が大ヒットし、一躍人気歌手となった。日本人には珍しいハスキーボイスで、その上美しい容姿が魅力的な雰囲気を醸し出し、出す曲はどれもヒットした。年末を飾るNHKの国民的番組『紅白歌合戦』に7年連続(1988年‐94年)出演したという実績だけでも、彼女がどれだけ大きな人気を得ていたのか、はっきりと分かる。

 そのころ韓国に伝えられていた桂銀淑のニュースは、成功ストーリー一色だった。日本で全国ツアーが全公演売り切れたとか、アルバムが売り切れて発売できない事態が起こったり、日本中どこに行っても桂銀淑の歌が流れているという感じだった。日本の小泉元首相が桂銀淑のファンクラブの会長だというニュースまで報じられたことがある。

◆紅白歌合戦に7年連続で出演した演歌の女王 

 2000年ごろから桂銀淑によくないことが起こり始めた。税務調査で30億ウォン(約3億円)台の税金を追徴されたり、知人とお金の問題で裁判沙汰になったり、今回の覚せい剤事件も、その不幸の延長戦上にある。何が問題だったのだろうか。一つ興味深い点は、これらの全てが前所属事務所と決別した後に起こったということだ。

 2000年、桂銀淑が事務所を出たのはそれなりの理由があった。自分を育ててくれ、父親のように慕っていた担当ディレクターを事務所が無断解雇してしまい、大きな不満を持っていたのだ。それでも黙っていたが、そのディレクターが解雇にショックを受け、倒れて死の境をさまよっている、という話が伝えられてからは、「これ以上、一緒に仕事はできない」と事務所を出てしまった。

 この事件以後、桂銀淑を取り巻く奇怪なうわさが出回り始めた。「桂銀淑が済州島とラスベガスを行き来し、賭博をしている」「賭博の借金が数億円に達している」「薬物に手を出している」など、どれもぞっとするような話だった。もちろん、これはすべて怪しいうわさにすぎない。公演が多すぎて移動するのも大変な人が、韓国とアメリカを行き来しながら賭博をするということ自体が不可能なことだ。しかし、うわさも度重なるとバカにならない。悪いうわさが一つ二つ出回り始めながら、桂銀淑の活動の場も狭くなっていった。

チェ・グクテ記者 , 写真=アン・ホソン記者
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