【レビュー】『千年鶴』パンソリ師に育てられた姉弟のかなわぬ愛


 全羅道長興の曲がりくねった道がスクリーンいっぱいに広がり、爪ほどの大きさのバスがその狭い道を走る。まるで空の下に存在するあらゆるものを1つの画面にすべて収めようとするかのように、上から見下ろした俯瞰(ふかん)図に描き出した『千年鶴』の冒頭のシーンだ。人生の一部分ではなく、一生のすべてを描こうという巨匠イム・グォンテク監督の野心を象徴的に表すシーンだ。


 『千年鶴』は『風の丘を越えて』(原題『西便制』)と同じ「根」を持っている。血のつながりはないが、パンソリ(唱劇歌)師の養父(イム・ジンテク)に育てられた姉のソンファ(オ・ジョンヘ)と弟ドンホ(チョ・ジェヒョン)の一生を描いた物語。『風の丘を越えて』がパンソリをきわめた境地「得音」を目指す生き様を描いた「芸術家の物語」だとすれば、『千年鶴』は姉弟のかなわぬ愛に重点を置いている。噂を頼りに済州島涯月まで訪ねてきたドンホの前に、顔を赤らめ、白い松餅のような足袋の先をチマ(韓服のスカート)の裾で隠すソンファの姿は、この映画の描く愛がどんなものであるかを象徴的に示している。

 ラストシーンで、白い雪のような梅の花びらが画面いっぱいに散り乱れる。「夢なるかな、夢なるかな、すべて夢なるかな」で始まるソンファのパンソリを聞きながら、80の齢(よわい)を重ねた老人ペクサが息を引き取る。息を呑むような美しい自然と、人生の悲しみを載せたパンソリが、互いに干渉し合い1つになる。才能ではなく経験がもたらした『千年鶴』だけの名シーンだ。

オ・スウン記者
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