百済(ペクジェ)が2000年の歳月を飛び越え、現世に舞い戻ってくる。
忠清(チュンチョン)南道・扶餘(プヨ)郡・ハプチョン里一帯の100万坪の敷地に5048億ウォンをかけ建設されている「百済歴史再現団地」が徐々に完成に近づいているからだ。
来年3月には百済の歴史と百済人の生活、文化、遺跡などを網羅した「百済歴史文化館」が開館し、これに続き、上半期中にはサビ(現在の扶餘(プヨ))時代、百済王宮と陵寺(陵を守るために建てられた寺)5重の木塔の雄大な姿が一般に公開される。
2010年まで開国村、伝統民俗村、産業交易村、裝蹄墓地村などが段階的にオープンすれば、百済の絢爛な文化と歴史を直接目で見て、手で触って感じることができるようになるだろう。
扶餘は西紀538年に遷都された後、660年に滅ぶまで、百済が文化的全盛期を迎えた最期の場所だった。
◆百済の王宮、木塔を再現
「中宮殿の柱の高さだけで18メートルになります。百済の建物の再現はこれまでになかったことなので、数十回も模型を作っては壊し、精魂こめて完成させました」
5日午後、白い韓服を着たチェ・キヨン(62/重要無形文化財74号)大木匠が5重の木塔の屋根の上を歩き回りながら最後の工事を進めていた。チェ大木匠は王宮や陵寺の再現団地内の工事の総責任者。
中央の柱の直径は83センチ、高さは29メートルにおよぶこの木塔は、見上げただけで眩暈がするほど。百済金銅大香盧(国宝287号)が出土された扶餘(プヨ)陵山里寺址の木塔の遺跡をそのまま移してきたように再現した。
◆百済の文化・歴史・生活がひと目で
270億ウォンを投入し、来年3月にオープンする「百済歴史文化館」は内部展示室の最終工事が行われている。
漢城(ハンソン)時代(BC18∼475年)→熊津(ウンジン)時代(475∼538年)→シビ時代(538∼663年)→百済復興運動に続く百済の歴史と生活像、文化遺跡を模型とマルチメディア展示物でひと目で確認できるようになっている。