総制作費85億ウォンが投じられた超大作『南極日誌』で、「南極」はヤヌスのように2つの顔を持っている。
四方八方どこを見回しても白い地平線で囲まれた雪と氷の国は、この映画の最高のスペクタクルで、韓国の観客には、未知の風景を観るだけでも楽しめる映画である。
また、信じられないことであるが、この超大作は上映時間2時間の間、白い舞台の上でのみストーリーが展開される。出演者は6人。映画というよりも、雪の上で繰り広げられる主張性のある演劇のようだ。
ミステリー映画『南極日誌』は、ベテラン隊員のチェ・ドヒョン(ソン・ガンホ)をリーダーとし、新人隊員キム・ミンジェ(ユ・ジテ)を含む6人の南極探検隊の物語だ。
探検隊の目標地点は「到達不能点」。この威圧的な名前が象徴するように、南極大陸海岸から最も遠く離れた地点であり、最低温度は氷点下80度、氷の厚さが3000メートルに達するという前人未到の場所だ。
しかも、中間で支援を受けることもできない無補給遠征である。「どうして、そんなことをするのか」という質問に、探検隊長は「私たちのような人間は、誰もできないことをしているときに、自分が生きているということを感じるのだ」と答える。
この誇らしげな答えの威力は、そう長く続かない。80年前、英国遠征隊の走り書きの日記帳を雪の中から発見した後、想像もできなかった事件が探検隊を襲いかかる。
日記の冒頭には、「私たちの欲望が、ここを地獄にした」と書かれている。
およそ6年の歳月をかけて準備された『南極日誌』に、惜しみない拍手を送りたいところはたくさんある。南極を素材として選んだことだけでなく、韓国映画では取り上げたことのない舞台を、全くちがった製作方法を持つスタッフ(この映画は大部分をニュージーランドの雪原で撮影をしている)を説得し、印象的なビジュアルを作り出した監督の執念には敬意を表する。
また、単純に南極のスペクタクルを商業用として使うだけではなく、「人間の貪欲さ」という主題を意識的に取り入れようとした意欲からも、新人監督の覇気あふれる製作意欲をうかがい知ることができる。
しかし、このような自意識の強い演出は、雪の中に隠れているクレバスのように、いくつかの部分で亀裂を作る。
「雪の上を歩くことだけが、この映画最大のスペクタクル」という一部皮肉的なコメントはもちろん、悪意的だ。
しかし、映画の舞台が雪、ないしは雪から身を守るテント以外ないということは、観客の楽しめる視覚的快感の有效時間を、あまりにも安易に判断したのではなかろうか。
また、相次ぐ死と手がかり、それぞれのつながりが上手くかみ合っていない。ミステリーというジャンルはただ観客を呼び寄せるための装置として利用されたという疑いが濃い。
眉毛とひげを氷柱で覆い、目を見開く宋康昊は親しみがない。探険隊員2人が死に倒れたにも関わらず、「この程度のことも起きなかったら、後でお土産話もないからな」と、段々狂気に支配されていく彼の姿を見ることは、“小市民”宋康昊に慣れている観客には新しい経験だ。
また、映画が自分の観点から進行しているためでもあるが、次第に痩せてこけていく体型のように、神経質になり、最後の瞬間爆発する劉智泰のキャラクターも、観客の同意を得られそうだ。しかし、際立つというより“難無く収まった”という表現が似合う格好となっている。
いっそ「荷物を減らさなければならない」と手の平のたこをナイフで切り落とす副隊長(パク・ヒスン扮す)ら助演の演技が印象的だ。
さて、最後に一つ疑問がある。カン・ヘジョンはどうしてたかがその程度の存在感で特別出演を決心したのだろう。19日公開。