ドイツのベルリンで開催されている第55回ベルリン国際映画祭で12日(現地時間)、林権澤(イム・グォンテク)監督(69)がアジア人としては初めて名誉金熊賞(Honorary Golden Bear)を受賞した。
同賞は世界の映画史に多大な貢献をした映画人に贈られる生涯功労賞で、歴代の受賞者はエリア・カザン、ソフィア・ローレン、オリバー・ストーンら18人に過ぎない。
同映画祭のディーター・コスリック・ディレクターは「林権澤監督は作品数はもちろん、素材とテーマの多様性の面で、アジア映画史では卓越した存在」とし、「鮮明な視覚的美しさと映画技術の革新、知的な感性で40年間に99本の作品を作った林監督にこの賞を捧げる」と語った。
授賞式直後にホテルに戻った林監督に13日未明、電話でインタビューした。「ベルリンに来るといつも時差に苦しむが、そのせいか受賞のせいか、眠れなかった」という林監督の声はいつもと違って枯れていた。
-アジア人初受賞の感想は?
「受賞を知らされた時は『私の映画人生最高の栄誉』と語ったが、実際にこの賞をもらってみると少し違う気持ちだ。まさに今の韓国映画が持っている地位のおかげ。この地位を世界の映画界が認めたもので、私はただ代表して賞をもらっただけと考えている」
-受賞の瞬間に誰の顔が浮かんだか?
「私は62年から映画を作っているが、その時から、いや、それ以前から映画に携わったすべての先輩や同僚、後輩たちが私を育ててくれたと切実に感じた。私一人でいい映画を作っていると錯覚していた時期もあったが、そうではなかったという思いだ。もちろん、隣に座っていた家内のことも思い浮かんだが」
-ドイツの有力週刊誌「シュピーゲル」で今回の受賞と関連し、林監督を「韓国映画のゴッドファーザー」と表現していたが。
「好きに言っていることだろう。何とも気恥ずかしい。単に、淘汰されず、しぶとくやってきたことに対する社交辞令的な表現だろう。時には思い上がったこともあった。私もこの程度なら映画的創意性があるのではないかと。だが、実際こうした結果となり、そうではないという思いを痛感している」
-カンヌでは監督賞を受賞したが、ベルリンでは賞をもらったことがなかった。
「1982年に『曼荼羅』がコンペ部門に出品されたのが初めてだ。その後、『風の丘を越えて~西便制』や『キルソドム』などが出品されたが、賞とは縁がなかった。今回の受賞理由を聞くと、私の作品が7本もベルリンに出品されたという。『いつもベルリンの高い壁を実感していたが、こうして名誉金熊賞をいただいて驚いた』と感想を語ったら、みんな笑っていた」
-後輩の映画人に伝えたい言葉は?
「私はその質問に何も答えられない。初めて映画界に飛び込んでから10年間、まったくおかしな映画を50本作った。そんな作品を作っておいて、後輩たちに何が言えるだろうか。その後ようやく自分の道を進むようになったのだ」
-99本目の作品が『下流人生』だった。100本目の作品の構想は?
「シナリオを手直ししているところだ。80年代を生きた人々を通じて素朴な人生を描く考えだ。
帰国後、2~3か月すれば具体的な内容を発表できると思う」