俳優・薜景求がつづった『力道山との出会い』(3)

 数日前、サイダス・ピクチャーズのチャ・スンジェ社長、ソン・ヘソン監督と酒を飲んだ。『公共の敵2』がクランクアップして、ちょうど『力道山』の試写会を控えた時だった。その時、チャ社長が「力道山が30作目になるが、これまでのどの作品よりも大変だった」と話した。私もそうだった。やるべきことが多すぎて本当に辛い作品だった。

 振り返ってみると、私は初め、力道山を理解しようと思わなかった。撮影をしながら監督と私で合意したことは「力道山を消してしまおう」ということだった。私が知っていることは、彼が当時の日本で最も影響力のある英雄であったということ。現代の誰とも比較することができない程に日本全国を熱狂の渦に巻き込んだ英雄だったが、非常に荒っぽい性格で酒と精神安定剤を飲み、超豪華な結婚式を挙げたがタキシードは安物だったなど、そんなエピソードのある人物だという程度だった

 私は個人的に力道山という人物に同意することができない部分があった。特に妻のあやと住んでいる家に他の女を呼び込んでしまうのは本当に理解できなかった。試合で負けたら会社のすべての株式をくれるという話を持ちかけられても試合に勝ってしまう彼を見て、自分なら絶対に負けると思った。私は最高のプロレスラーになっても、なぜあそこまで破天荒なのか理解できないまま演じていたようだ。ともかく熾烈な人生を送った男、それが力道山だった。

 そんなある日、プロレスシーンの撮影もすべて終わって最後のシーンを撮る前日だった。私は元からシナリオを先に読んだら、それほどシナリオを見返さない人なのだが、その日はたまたまそのシーンを読み返していた。プロレスシーンが終わって余裕があったからではなく、何となく今日はどんなシーンを撮るのかと読んだだけだったが、私は何故か泣いてしまった。それもタオルで涙を拭うくらいに大泣きしてしまった。

 私の読んだ台詞はこうだった。「世の中で一番大きく笑う人になりたかった。故郷ではたくさん笑ったが、日本に来てからは笑うことがなくなってしまった。笑えば貧しい朝鮮人がどうかしたと言われた。それで決心した。世の中で一番たくさん笑う人間になろうと」

 この世を去る一週間前に病院で弟子の金一(キム・イル/ 大木金太郎 )に打ち明ける言葉でなぜ涙が出てきたのだろうか。

 私はようやく力道山を理解するようになっていたのかも知れない。16歳で一人日本に渡った彼は、あらゆる悲しみを乗り越えて立派な相撲力士になったが、朝鮮人である彼は絶対に横綱になれないということを知って挫折した。

 プロレスラーに転身してトップの座に君臨するが、いつ再び同じ仕打ちを受けて過去に逆戻りするのではないかと常に不安を抱いていた人物でもある。仕方なく朝鮮人だった、でも絶対に日本人には負けることのができなかった。

 彼は政治的にとても複雑な人物で、彼を消そうとするヤクザの脅威の中で生きていた人だった。すべての人を敵に回して、一日たりとも気の休まる日のなかった。多くの人に取り囲まれていたが、振り返れば自分のそばには誰もいなかった寂しい人だった。

 今は彼を理解するようだ。彼が本当にかわいそうな人だったということも今は分かる。私が撮影をしながら必死に搾り出していた力を毎日のように出して生きていた彼の人生は本当に寂しくて辛いものだったのだろう。『ペパーミント・キャンディー』や『オアシス』でも私は常にアウトサイダーな人物を演じてきたが、その中でも力道山は最も心が貧しい人物だった。

 周りから俳優は他人の人生を買うことができる職業だと言われる。しかし、俳優がその人になることはできないのだ。ありのままの自分の姿を自分なりに表現するだけだ。力道山も私が表現した一人の人物であるだけで、その以上の意味は持たない。

 しかし、本当に辛かったからだろうか。私は最近、気が抜けてしまったようになっている。私はまた生まれ変わっても力道山のような人生を歩むことはなさそうだ。

 ただ、私たちがそうやって必死で作った映画『力道山』を見て、人々がこの男の本当の気持ちを分かってくれたらと思う。そうすれば私も、そして力道山も少しは幸せにならないだろうか。

<完>

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