映画『人魚姫』で一人二役を演じた女優の全度妍

 全度妍(チョン・ドヨン)主演の映画『人魚姫』は意外性の少ない映画だ。全度妍の演技力はすでに周知の通りだし、『我が心のオルガン』のように素朴な田舍の少女のような役なのだが…。

 しかし、『人魚姫』を観てからは彼女が似たキャラクターを二度演じるほど純真ではなく、絶妙な演技と満ち溢れた魅力があることを今更ながら感じさせる。

 「底をつきました。朴賛郁(パク・チャkク)監督がカンヌで『もう下り坂の人生しか残っていない』と仰っていたように、これ以上は上手くやっていけるか分かりません」

 正直な気持ちとプライドが入り混じった彼女の気持ちだ。食べることで精一杯だった母親の美しい青春時代にタイムスリップした娘の姿を描いた映画『人魚姫』で全度妍は、女優の真価が問われる一人二役で母親のヨンスンが若かった頃とその娘のナヨンを演じた。

 ヨンスンを演じた姿とナヨンを演じた姿をCG(コンピューターグラフィックス)で合成した映像を見ていると、二人の全度妍が並んで座っている姿があまりにも自然に感じた。

 「初めはCGの技術がすごいと思っていました。ところがそうではありませんでした。しかも、私の故郷が全羅(チョルラ)道なのかと思われたいなんて欲張ったから本当に苦労しました」

 過去の母親とその娘が目を合わして話し、語調の強い全羅道方言と標準語を交互に交えながら見事に演じきったのだ。互いに発する台詞はまったくのずれがなく、視線もまったくのずれがない。それは明らかにCGの技術ではなく、全度妍が女優として評価されるべき部分だ。

 純真だろうが(『我が心のオルガン』)そうでなかろうが(『血も涙もなく』)、純情だろうが『スキャンダル/朝鮮男女相悦之詞』(日本タイトル『スキャンダル』)そうでなかろうが(『ハッピーエンド』)、日常的だろうが(『私にも妻がいたらいいのに』)そうでなかろうが(『約束』)、彼女はすべての映画に適役であるように見えた。97年のスクリーンデビュー作『接続』から、全度妍は誰もが認める演技派女優だった。 

 しかし、全度妍はその割にはCM出演をしない。セレブ、ピュア、個性的といった言葉では表現できない固定したイメージがないからだ。「私のセールスポイントは私自身じゃなくて私が出演した映画なんです」

 「『ハッピーエンド』の試写会に広告主を呼んだら、困ったような顔で『映画は良かった』と言われたそうです。もちろん契約には至りませんでした」

 この言葉にはCMよりも重要なことがあるという意味が込められている。「私は哲学を持っていたり、悩んだりするような女優ではありません。シナリオさえ良ければ出演するだけであって、CM契約のことまでは考えていません。私がやりたいことは一つだけなのです」

 もちろん全度妍がやりたいと言っているものは、自分を女優として完成させる映画だ。そうした信念が彼女を子供に睡眠薬を飲ませてまで浮気をするチェ・ボラ(『ハッピーエンド』)や肝っ玉母ちゃんのヨンスン(『人魚姫』)を自然に演じさせるのだ。

 全度妍は「記者の皆さんにも得意な分野があるように、私にとっての得意ジャンルは恋愛映画」と言う。多少のスタイルは違っても全度妍の出演した映画はほとんどがラブストーリーだ。『人魚姫』で彼女が演じた愛は、初恋や母親に対するオアシスのような愛だ。

 全度妍は母親役の代名詞となっている女優の高斗心(コ・ドゥシム)を尊敬してやまない。「高斗心さんみたいに年を取りたいです。特別な癖もなく常に新しいものを自然に取り入れる姿にはただただ尊敬するだけです。周囲からは高斗心さんが私と似ていると言ってくれます」

 高斗心の姿と全度妍の20年後の姿が重なるのは、今回の映画で描かれた母子の姿があまりにも自然だからだ。

 「昨日、忙しいスケジュールを終えて家に帰ったら、両親が私の衣装部屋を片付けていました。私が忙しいからでしょうね。でも、それで私が怒ってしまったんです。自分のものに触られるのが嫌なんです。怒りすぎてなかなか眠れませんでした。朝起きて反省しましたが、衣装部屋を見たらまた思い出しちゃって…」

 「『人魚姫』に出演してから母親に対する考え方が変わりましたが、やっぱり現実はいつも通りになってしまいますね。まあ皆さんも同じでしょう。

そうですよね?」

パク・ウンジュ記者 zeeny@chosun.com
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