巨匠・大島渚監督が描いた異色の時代劇『御法度』

 もしかしたら美しいことにも暴力と似た属性が隠されているのかも知れない。それは硬直した理性を瞬時にして武装解除させた後、皮膚に乱入してきてあっという間に意識を占領してしまう。人々は美しさに感嘆して先ず屈服する。

 『絞死刑』や『愛のコリーダ』といった作品を通じて60~70年代の日本映画を代表した巨匠、大島渚監督の新作『御法度』(23日公開)は、侍集団の内部を舞台にした異色の時代劇だ。妖艶な容姿を持っス加納という美少年が新たに集団に加わり、すべての武士が彼に関心を示して引き起こる愛憎劇を描いたこの作品は、一種のエロチック・スリラーと言える。

 男ではあるがスクリーンの中の加納という美少年は、その心理と行動でまるで原始的本能を刺激する “ファム・ファタール”(致命的悪女)のようなキャラクターだ。大島監督は無声映画的な字幕処理とボイスオーバーを活用してストーリーの状況に積極介入しながらこの奇妙な物語に二重三重の神話的効果を加える。

 日本映画界の大物監督がこの映画を制作するために13年ぶりにメガホンを取ると、90年代を代表する後輩監督である北野武や在日韓国人の崔洋一が重役を務めたというのも興味深い。すべての混乱の中心となる加納役を演じた新人俳優の松田龍平は、フェティシズムと思ってしまうほどにスクリーン一杯に表情を映し出して強烈な印象を残す。

 この映画は明らかに同性愛をモチーフにした映画だ。しかし、さらに正確に言うならば、結局この映画は致命的な美しさを描いた映画とも言える。善悪に対する判断や理念を武火させる美しさの力強い吸引力に対する賛嘆(さらに正確には歎息)は、映画全体を覆う最も重要な情緒だ。

 映画すべての状況を把握している人物として出演する北野武が最後のシーンで「加納はあまりにも美しすぎる」と歎息した後、(当然、加納を斬ることができずに)刀で満開の桜を斬りつけるシーンには、大島監督が伝えたいすべてのメッセージが込められている。

李東振(イ・ドンジン)記者 djlee@chosun.com|
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