黒沢清は国際舞台で北野武と並び今日の日本映画を象徴する代表的な監督だ。日本の評論家から全面的な支持を得ている黒沢は、1980年代に2本のロマンポルノでデビューし、幅広いジャンルの映画を手がけ、1997年にホラー映画の傑作『CURE』で世界的な名声を得た。
以降、作品を発表するたびにカンヌ、ベネチア、ベルリンなどの世界的な国際映画祭に出品を果たしている黒沢監督の近作2本(『降・KOUREI』『アカルイミライ』)が23日、同時公開される。今年の初めには黒沢作品の21本を一堂に集めた回顧展が開かれ、昨年には『ドッペルゲンガー』も公開されたが、今もなお韓国では未知の監督というイメージの黒沢作品に触れられる絶好の機会だ。
『降霊 KOUREI』は黒沢監督が悪と恐怖というすべての人間の内に秘められた毒の部分を魅惑的なタッチで描いた『CURE』に続いて発表したホラー映画の傑作だ。
この映画は死者に代わって話すことができる能力を生まれ持った女が、誘拐された少女の行方を探し出すことから始まる。平凡な結婚生活を送っていた女はその能力を認められ、今までに叶わなかった小さな欲望のために最終的には大きな悲劇を招く。
初期作の『地獄の警備員』といったホラー映画がエネルギーに満ち溢れ、B級映画的な雑な印象も同時に与えたのに比べ、最近作の『降霊 KOUREI』は『CURE』と共にソフトで精製されたスタイルの中にホラー映画というジャンルの慣性的なトリックに代わって緻密に心理描写が行われ、不気味なストーリーを印象的に描いた作品だ。
そのリアルな雰囲気のために映画を観ている時よりも観終わってからがもっと恐ろしいこのホラー映画は、何の特殊効果も使わずにドアが揺れる音や木が揺れる音だけで罪責感と欲望が交差して渦巻く心の地獄をリアルに描き出すことに成功した。
昨年のカンヌ映画祭に登場した『アカルイミライ』(2003)は、すでにホラー映画の巨匠になった最近の黒沢作品の世界を代弁している。『CURE』『カリスマ』『降霊 KOUREI』『回路』といった黒沢監督のホラー映画が高い評価を受けているのに比べ、『ニンゲン合格』『大いなる幻影 Barren Illusion』『アカルイミライ』といった作品は相対的に国際舞台で脚光を浴びていない。
しかし、基本的に成長映画や青春映画的な性格を持ったこれらの映画は、互いに違うスタイルにもかかわらず、狭いフレームのジャンルから脱した黒沢監督の胸中を探ることができる重要な作品であるという共通点を持っている。
『アカルイミライ』は自分だけの世界で寂しく生きてきた24歳の青年が友達からもらったクラゲを育てながら自分に目覚めていく過程を描いている。映画は友達が犯した殺人をはじめ、さまざまな事件が起こるが、このすべてを圧倒するのはクラゲのイメージと象徴だ。闇の中で光を発して遊泳する赤いクラゲの姿は、監督がこの映画を制作する最初の動機になったと推測される。
見た目には美しいが触れると危険なクラゲは、劇中の状況によって友達から未来や人生自体に至るまでを多様に隠喩しながら、すべてのテーマを含んでいる。
メッセージを伝えるためにあまりにも直接的な人生の喩えを頻繁に繰り返すという短所もあるが、黒澤明の『生きる』や宮崎駿の『もののけ姫』を生んだ日本映画の伝統の産物に相応しく「(この辛い世の中でも)生きろ!」と叫ぶこの映画のメッセージは感動的だ。