25年間「徒歩修行」を続ける円空和尚

 ソウルから釜山(プサン)まで飛行機で行けば1時間というこの時代に、車にも乗らずに歩いて行く修行者がいる。その名は円空(ウォンゴン)和尚。

 円空和尚は1979年以降の25年間、自動車、鉄道、エレベーターに至るあらゆる文明の利器を拒否し、ひたすら1年の半分以上を「徒歩修行」に費やしている。海を渡る時は船に乗るが、飛行機は利用しない。

 2002年にはサッカー・ワールドカップ(W杯)韓日大会に合わせて志を共にする10人余りと「平和」をテーマに韓日両国の試合開催都市を123日間かけて回った。また、昨年には仁川(インチョン)を出発して西海岸、南海岸、東海岸、休戦ラインに沿って韓国全土を一周した。

 円空和尚は2002年の「韓日平和徒歩大遠征」に参加した仲間たちと共に、当時のエピソードを綴った『私たちはどうしてその道を歩いたのか』(ホミ出版社)を最近出版した。

 本は一見退屈そうだ。どのページも歩いてはまた歩き、ゴミを拾ったという話だけが登場する。しかし、その行間から聞こえてくる遅さという美徳の響きは大きい。

 円空和尚は「速くて楽であることが、必ずしも良いことでしょうか?半日で米国にもヨーロッパにも行けますが、その飛行機がさまざまな病気まで一度に運んで来るではないですか」と指摘した。

 以前に参加した韓日平和徒歩大遠征で円空和尚が目にしたものは、速い速度で転がって行くゴミだった。日本の海岸にはハングルで印刷されたラベルの付いた酒の瓶やコーラの瓶といったゴミの山が押し寄せ、逆に浦項(ポハン)港などには日本のゴミが浮いていたという。

 「速くて楽であることを好む現代社会の病理です。自分の便利さだけを考えて出る現代文明のゴミは、そうやって国境もなく漂っているのです」

 道峰(トボン)山・天竺(チョンチュク)寺の無門関での6年におよぶ修行を終え、初めて歩き始めた時はひとりだったが、最近では10人余りの同志が集まり、寂しくはない。


 自分の足で一歩一歩を踏みしめれば、車や飛行機では感じることのできない自然本来の姿が手に取るようにわかる。膝まで浸かる干潟を歩きながら干潟が死んで行く姿を見ることができ、アスファルトを持ち上げて顔を出す小さな雑草からは生命の偉大さを学ぶ。

 円空和尚は「今すぐには急に思えても、長い人生で見ればソウルから釜山まで行くのに、少し速く行こうが遅く行こうが大差はありません」とし、「人々がとても忙しすぎるから問題が発生するのです」と言う。

 円空和尚は「すべての人が徒歩だけで暮らすことはできませんが、そういうふうにゆっくりと進む方法もあるということを知らないことが残念」と語った。円空和尚は今年も2月初め頃に1カ月以上の日程で徒歩修行に向かう予定だ。

金翰秀(キム・ハンス)記者 hansu@chosun.com
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