『秀吉朝鮮の乱』を再構成して韓国語で出版した作家・金声翰氏

 「健康の許す限り書くことをやめないつもりです。それが作家の運命だからです」

 元老作家、金声翰(キム・ソンハン/芸術院会員/85)氏が壬辰倭乱(イムジンウェラン、豊臣秀吉が1952年に開始した朝鮮侵略戦争)を扱った長編小説『詩人と侍』(全3巻、ヘンリム出版)を発刊した。1994年に日本語で書いた小説『秀吉朝鮮の乱』(光文社発行)を補完し、再構成して韓国語に翻訳した新しい作品だ。

 先週、ソウル・新大方(シンデバン)洞の自宅で会った金声翰氏は「小説に登場する数百人の登場人物と名前などを繰り返し確認するため、脱稿するまで3年もかかりました」と話した。

 2002年に肺がんの手術を受け、翌年には左足の関節の治療も受けた作家は「健康のために執筆を中断する場合もある。そういう時はこの世に生きている日々、その1日1日がとてつもなく貴重に感じる」と話した。

 作家は色あせた古書のつまった書斎で、ボールペンで200字詰めの原稿用紙3000枚を埋める作業を続けた。80歳をはるかに超えた高齢であるにもかかわらず、若者以上に簡潔した力溢れる文体で、衰えない作家精神を見せつけている。

 短編『パビド』で第1回東仁(トンイン)文学賞(1956年)を受賞した金声翰氏は、戦後第一世代の作家として、「人間の実存の問題や、現代社会で知識人が経験する彷徨を、簡潔で知的な文章で描いた」という評価を得ている。思想界や東亜日報など、言論界に一生を捧げた金声翰氏は、80年代半ば以降、歴史へと関心の幅を広げ『王建』、『壬辰倭乱』、『秦始皇帝』などの歴史小説を相次いで発表した。

 金声翰氏は大河歴史小説『壬辰倭乱』(全7巻)など、壬辰倭乱を素材にした一連の作品を執筆するため、資料の調査と整理に10年以上の歳月をかけた。約400年前の状況を日誌のように整理した程だ。この資料は史料としての価値も持つという評価を受けている。


 小説は100年の内乱の末、天下統一を実現した豊臣秀吉の野望、無防備な朝鮮の悲劇、外敵に向けた義兵らの抵抗、明の参戦による北東アジアの外交戦などを通して、壬辰倭乱の全貌を細かく描いている。

 「小説の題名の詩人は宣祖(ソンジョ)、侍は豊臣秀吉を象徴しています。朝鮮はソンビ(学徳をそなえた人に対する名称)の国、日本は武を尊ぶ国として極端に対比されます」

 『宣祖実録』、『李忠武(イ・チュンム)公実記』、『懲毖録』、『乱中日記』、日本史などを緻密に考証した上で描かれた作品は、小説の面白さだけでなく、歴史的真実に迫ろうという作家の努力が感じられる。

 「歴史小説という名の下で史実を曲げる場合がよくありますが、これは空想小説です。歴史小説の最大の徳目は、歴史的事実を正確に伝えることにあります。歴史小説は、資料という幹に、葉や花を加えて生命を吹き込む作業です」

 小説の前に載せた当時の地図は、日本軍の進撃路が蜘蛛の巣のように復元され、両国の人口や陸軍・水軍の規模、船舶数などが詳しく記されており、まるで戦況図を見ているようだ。

 作家は「戦争に参加した朝鮮と日本、そして明の北東アジア3カ国のどの国にも偏らずに、公正な歴史を記述しようと思いました。それでこの小説には主人公がおらず、誰もが主人公と言えます」と語った。

 壬辰倭乱に対する作家の歴史的評価は冷静だ。

 「国の存亡に責任を持つ朝廷は敵のことを知らず、知ろうともしなかった上、知らせる人がいても耳を傾けようとしませんでした。敗亡直前の国を救ったのは、少数の有能な将軍と民間から志願した多数の義兵たちでした」

 作家は「歴史から学ぼうとしない民族は滅びるというのが人類史の教訓。壬辰倭乱のような破局を繰り返さないためにも、歴史を冷静に見つめ、その中からわれわれの姿を省みる必要があります」と話した。

崔洪烈(チェ・ホンリョル)記者 hrchoi@chosun.com
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