新作映画で15年間刑務所に囚われる男を演じる崔岷植

 「子どもたちが公園でくるくる回って遊ぶ地球儀型のジャングルジムがあるでしょう?それに乗って遊んでいたら、はね飛ばされて地面にたたきつけられたような感じです。地面に倒れたまま、回り続ける地球儀を見つめているような心境」

 虚しいことだろう。崔岷植(チェ・ミンシク)はこれまで出演してきた映画はいずれも「別れた恋人」のようだと語った。今回、宿命のように別れた恋人は『オールド・ボーイ』(21日公開)。

 参加したスタッフ、俳優たちが「作品の結末を口外したら違約金を科す」という内容の契約書にサインした上で撮影に入り、話題となった映画だ。崔岷植も最後まで秘密を守り通した。

 「シェークスピア悲劇の中で、どれにもっとも似ているか」という質問にさえ「ヒントになるかもしれない」と答えず、申し訳なさそうな表情をするだけだった。

 日本の同名漫画から物語の骨格を拝借した『オールド・ボーイ』は、2人の男、オ・デス(崔岷植)と李ウジン(劉智泰(ユ・ジテ))がぶつかり合う悲劇だ。

 いつものように酒を飲んで帰宅する途中だったオ・デスは、理由もわからないまま李ウジンの私設刑務所に囚われる。一日に3回、焼き餃子だけを食べて15年間も刑務所生活を送るオ・デス。時間の残酷さを描く映画だ。

 「どんなに退屈でしょうか。殴ったり焼きを入れたりする刑務所ではなく、毎日繰り返される日常がオ・デスの人生を停止させてしまうんです」

 崔岷植は「昔も今も、人は誰が、どういう理由で巻き込まれるかわからない暴力に苦しめられている」と話した。その退屈な15年間を映画は10分を少し越える程度に圧縮した。話の中心となる残りの部分は「囚われた理由」を解き明かしていく。

 『共同警備区域/JSA』、『復讐者に憐れみを』の朴贊郁(パク・チャンウク)監督は、崔岷植の片思い(?)の相手だった。崔岷植が脚本も見ずに出演を決めたのは、「朴贊郁」という名前のためだ。

 中でも『復讐者に憐れみを』に感銘を受けたという崔岷植は、「残酷さと冷笑的なユーモアを、論理的かつ映画的に扱う朴監督とぜひ一度、一緒にやってみたかった」と話した。

 「『復讐者に憐れみを』が乾き、荒涼として感情が抑制されていたなら、『オールド・ボーイ』はしっとりとして豊かで、最後まで感情のある映画です。バイキングのように、料理が豊富でもきちんと整理されています」

 今月6日に編集された作品を初めて見た崔岷植の感想だ。

 崔岷植はオ・デスの役作りに重圧感を感じたという。純然と想像だけで作らなければならない、あまりに映画的なキャラクターだったからだ。

 「張承業(チャン・スンオプ/『酔画仙』)は絵画と文献が残っており、カンジェ(『パイラン』)は実際にいそうなちんぴらでしょう。15年間も監禁されたら、いったい人間はどうなるのか、全く想像がつかず苦労しました。ところが、ふとこんな考えが浮かんだんです。『観客の中に15年間、理由もわからないまま監禁された人がいたら出てこい』と。返って気が楽になりました」

 俳優も職業だ。1981年から演劇俳優として活躍してきた崔岷植の経歴はすでに23年目。俳優という職業に「囚われている」と感じたことはなかっただろうか。

 「作品の中では限りなく自由です。俳優にとっては現実が刑務所ですよ。紅葉が見たくても登山にも行けません。写真を撮ってくださいと寄ってくる人がいますから。断ると『傲慢だ』と悪口を浴びせますし。脚本のように計画通りには生きられません」

 監督と一緒に脚本作業をしながら魅力を感じたのは李ウジン役だった。

 崔岷植は「李ウジンはあらゆる不幸を巻き起こす台風の目で、オ・デスは難破船に過ぎない。悪魔のように立ちはだかり、ぴんと張り詰めた力の均衡を作りだした劉智泰の演技に期待してほしい」と耳打ちした。

 自分の色をはっきりと持つ監督と俳優の出会い。互いに負担になることはなかったのか?

 「私は監督に自分の世界を押しつけたりしません。映画は監督の芸術ですから。俳優が外から監督の世界を揺さぶるのではなく、オーケストラの団員のように指揮者の世界に入り込むべきです」

 崔岷植によると、俳優とは孤独なムーダン(巫女)だ。『オールド・ボーイ』で崔岷植は再び、刃の上で祭祀の舞を舞う。

 「演技のテクニックには明らかに限界があります。カメラの前でその人物になれるかどうかは、純粋に魂の作業です。自我を捨てて霊(配役)を乗り移らせる過程は説明のしようがありません。ひたすら求めるだけです。

私のクッ(ムーダンが行う祭祀)が観客の根源を揺さぶることを、揺さぶることを…」

朴敦圭(パク・トンギュ)記者
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