「故郷に暮らす両親のことを思い、(マスコミに公開されることを)迷いましたが、これからは堂々と名乗り、南北の文化芸術の架け橋になりたいです」
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)最高の振付家であり、伝説的な舞踊家だった崔承喜〈チェ・スンヒ〉の弟子、ヤン・チャンナム(王在山(ワンジェサン)軽音楽団・党書記)から舞踊と新体操を学び、現在、世宗(セジョン)大学舞踊学科で韓国舞踊を専攻している脱北者(北朝鮮を脱出した住民)の呉英姫(オ・ヨンヒ/33)さんが、異例のインタビューに応じた。
統一後、南北の文化芸術の架け橋になることを夢見る呉さんは、その第一歩として脱北した芸術家からなる「韓半島芸術団」の創設を準備している。
昨年2月、夫とともに脱北し、12月に韓国入りした呉さんは、普天堡(ボチョンボ)電子楽団とともに北朝鮮の代表的なポップスアンサンブルとして有名な「王在山軽音楽団」所属の「木蓮組」のダンサーだった。
王在山軽音楽団についてはある程度知られているが、木蓮組はあまり知られていない。それもそのはず、対外的に公開されていない上、北朝鮮住民にも徹底的に秘密にされているためだ。
木蓮組は、金正日(キム・ジョンイル)総書記のためだけに存在する舞踊組織で、いわゆる「喜び組」に該当する。
呉さんは、王在山軽音楽団には木蓮組の他に「百日紅組」、「チンダルレ(ツツジの一種)組」というふたつの舞踊組織があると説明した。
呉さんによると、木蓮組は身長160センチ、百日紅組は163センチ、チンダルレ組は165~170センチのダンサー各12人で構成されている。
木蓮組はディスコ、タンゴ、ワルツなどの現代舞踊を、百日紅組、チンダルレ組は朝鮮舞踊などの古典舞踊を担当し、主に金正日総書記の週末パーティーなどで踊りを踊る。
パーティーへの出演は、出席者の顔ぶれと雰囲気によって決まるが、平均して週2回程度呼ばれるという。
中でも現代舞踊を担当する木蓮組は、露出度の高い過激な衣装を着て、金正日総書記が非公式に開く大小の秘密パーティーに主に出演するという。
金総書記が主要人物を招いてパーティーを開く際には、金総書記の妻、高英嬉(コ・ヨンヒ)氏が直接、出演するダンサーを選び、注意事項などを言うこともあったという。
「最高人民会議常任委員長の金永南(キム・ヨンナム)、党中央委員会書記の金容淳(キム・ヨンスン)と金己男(キム・キナム)、党組織指導部第1副部長のヨム・ギスンなどがパーティーの常連だったと記憶しています。金正日総書記は公演を気に入ると、よくダンサーたちに数百ドルの紙幣や豪華な贈り物をあげたりしていました」
喜び組に入ると、外部とは一切接触できない。その代わり、日常生活は一般住民の想像を絶するほど贅沢だ。
「朝食はフランス料理、昼食は刺身などの日本料理、夕食は韓国料理と西洋料理というのが主なメニューでした。靴はイタリア製の高級オーダーメイドで、衣装は日本製のものを着ました。肌を美しくきれいに保つため、毎日ヨーグルトを食べました」
アクセサリー類も豪華で、金総書記の名前が刻まれたオメガの金の腕時計や、高級貴金属で着飾ったという。
「93年に金総書記の息子の金正男(キム・ジョンナム)と一緒に、お忍びで咸鏡(ハムギョン)北道の七宝(チルボ)山に狩りに出かけたことをよく憶えています。狩りを終えて、東海岸の海七宝(ヘチルボ)で船遊びを楽しみましたが、すばらしい景色でした」
しばらく記憶の糸をたぐり寄せていた呉さんは、金正男氏が当時、父親の権力を背景に絶大な権限を行使していたと伝えた。
平壌(ピョンヤン)で生まれた呉さんは、11歳の時から新体操を習い始めた。92年のアジア選手権では銀メダルも獲得した。
その直後、李チャンソン党中央委員会・組織指導部第1副部長が直接、体育館を訪れ、呉さんをダンサーに抜擢した。
しかし、ダンサー生活はわずか1年で終わった。ダンサーは常に一定の体重とスタイルを維持しなければならないが、呉さんは増え続ける体重をコントロールできなかったという。
結局、木蓮組での生活に関する一切の秘密を厳守すると誓って組を去り、「集団体操創作団」の新体操の振付家として新生活をスタートさせた。昨年、脱北する直前まで振付家として活動していたという。
今年8月、大邱(テグ)ユニバーシアード大会に新体操チームの一員として参加したチョ・スンドク(審判)、金ウンジュ、朴クァンボク(ともに指導員)各氏も、呉さんと小さい頃から一緒に訓練を受けてきた仲間だった。
競技が行われた慶州(キョンジュ)まで訪ねていった呉さんを発見し、驚きと戸惑いを隠せなかった昔の仲間たちの姿が今でも目に浮かぶと、呉さんは目を潤ませた。