【古墳探検②】韓国版ピラミッド「仇衡古墳」



 慶尚(キョンサン)南道・山清(サンチョン)群・今西(クムソ)面・花渓(ファゲ)里の王(ワン)山のふもとにある「仇衡(クヒョン)王陵(史跡第214号)」は、国内で唯一の階段式の石塚であり「韓国版ピラミッド」とも呼ばれる。

 1798年に王陵下方にある王山寺から仇衡王と王妃の肖像画や衣服、錆びた剣、弓などの遺品が発見されて以来、この場所は注目を受けるようになった。

 「王山の奥に石を積み重ねてつくった丘があり、四面が階段式となっている。ここが王陵という伝説がある」という『東国與地勝覧』(朝鮮時代の各地の地理や風俗を記録した本)の記録もこれを裏付ける。

 金庚信(キム・ユシン/高句麗(コグリョ)、百済(ペクチェ)、新羅(シンラ)の三国時代に終止符を打った新羅の大将軍)将軍の曾祖父だった仇衡王は、532年新羅の法興(ボプフン)王に領土を奪われるまで11年間金官伽那(クムガンカヤ)を統治した。

 王陵への山道の入口にある徳譲(ドクヤン)殿は、仇衡王と王妃の位牌を奉った場所であり、また金庚信将軍が仇衡王陵で侍墓(シミョ/親の喪に服す際、その墓の隣に小屋を作って3年間過ごすこと)生活をしながら弓の練習をしていたという「金庚信射台碑」が、王陵の100メートル下に位置している。

スポーツ朝鮮/金スングン記者
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