「銃を撃たないチョウ・ユンファ、カンフーをしないジャッキー・チェン、筋肉を見せないシルベスタ・スタローンなんて、想像できないでしょう。観客は今も俳優・朴重勲(パク・チュンフン)にコメディを期待しています。他のジャンルに挑戦するのは、無謀なことだと知りました」
『The Truth about Charlie』でハリウッドデビューを果たした俳優の朴重勲(38)が忠武路(チュンムロ/韓国映画の中心地)に帰ってきた。復帰第1作は三国時代を背景にしたコメディ時代劇『黄山(ファンサン)平野』(10月17日公開)。俳優歴19年目に突入した朴重勲は「コメディは自分にとって栄光であると同時に足かせ」と語った。
1999年作『情け容赦なし』が成功して以来、『不朽の名作』(ラブストーリー)、『セイ・イエス』(スリラー)、『The Truth about Charlie』(スリラー)と続いた挑戦が相次いで失敗するという屈辱を味わった朴重勲は、“得意分野”のコメディに戻った。
「階伯(ゲバク/朴重勲扮す)が悲劇の中心にいるコメディです。鎧を着てひげをつけ、全羅(チョンラ)道なまりで台詞を言うので、まるで私のために企画された映画のようでした」
『黄山平野』は、約1300年前の慶尚(キョンサン)道、全羅道、忠清(チュンチョン)道などでは現在よりもはるかになまりの強い方言を使っていたという仮定の下、悲劇の歴史の現場を飛び越える。
悲劇の主人公、階伯将軍にコミカルな印象の強い朴重勲を起用するかと思えば、唐を現在の米国に喩え、「悪の枢軸」発言を登場させるなど、時代劇色を抑え、コメディ色を濃くした。
階伯将軍に扮する朴重勲が真剣な表情で「仮にも決死隊が10人切りもできないのか?兵士たちに命令しろ。死ぬ前に新羅(シルラ)の奴らを10人殺したかどうか、私の確認を受けて死ぬようにと。わかったか?」などといった台詞を吐くのを想像してみよう。
「サッカーに喩えれば、李ジュンイク監督は私をストライカーに起用しておいて、『個人技に走るな』と要求しました。朴重勲一人でハーフラインから攻撃せず、組織力で笑いを作ることが大切だということでしょう。『黄山平野』は抱腹絶倒のコメディではありません。ただ、私たちが散りばめた笑いの要素がうまくかみ合えば、十分に楽しめる映画です」
『黄山平野』は地域感情の溝を掘り下げていく。あるものを無いと隠そうとせず、ありのまま認めなければ、地域感情を解決することはできないという考えからだ。
朴重勲は時代劇も、方言を使った演技も初めてだった。真夏の炎天下で15キロの鎧を着て撮影したシーンは、「鎧ダイエット」と呼ばれるほど大変だった。両親が慶尚道出身だという朴重勲は、映画会社が用意してくれた全羅道方言のCDを持ち歩いて台詞の練習をしたが、聞くこと自体に限界があった。
「撮影助手がちょうど全羅道の光州(クァンジュ)出身で、ずいぶん助けられました。全羅道の方言はきついという偏見がありますが、習ってみると、柔らかくて情感の湧く方言でしたよ」
『The Truth about Charlie』に出演後、ハリウッド大作の悪役の話が5~6程度入ってきたが、朴重勲は断った。その代わり、同映画のジョナサン・デミ監督がプロデューサーを務めるハリウッド映画『ピビンパプ』(仮題、制作費2000万ドル)に100万ドルで主演し、来年撮影する予定だ。レストランのウェイター(朴重勲)と料理評論家の恋愛を描くロマンティック・コメディという。朴重勲はハリウッド第2作も得意分野(コメディ)で勝負しようと、この映画を選んだ。
朴重勲は「デビューから31作目となる『黄山平野』も入れて、70~80%がコメディと言っていいほど多くやってきたし、コメディに自信がある」と語った。
また、出演作を通じてコメディの時代的な流れを読んでいるという。「『チルスとマンス』、『ウムッペミ(でこぼこの畦の意)の愛』など、1980年代のコメディには社会が反映されていました。『トゥー・カップス』が代表する1990年代半ばまでのコメディは、警察の不正を暴くなど民主化の雰囲気を謳歌し、最近は身の回りの『些細なことだけど面白い』エピソードへと、変遷してきているんです」
興行成績に対する負担は相変わらずだ。朴重勲は今の心境を「マラソンで言えば、先頭グループで折り返し地点を通過したはいいが、いつリタイアするかわからない危険な状況」と説明した。しかし、『黄山平野』は手応えがあるという。
「これからは幅を広げるより、コメディを極めることに力を注ぎたい」と話す朴重勲の言葉には、力が感じられた。