湖に堂々とした庵が浮かんでいる。庵に暮らす老僧と少年僧は時々、櫓をこいで世間へと向かう。季節が変わる。少年僧は成長し、老僧は老いを重ねていく。
金基徳(キム・ギドク)監督の『春夏秋冬そして春』(19日公開)は庵を中心に移ろう四季を背景に、人間の業と愛、苦痛と虚しさを描いた映画だ。
この映画にもやはり、『島』や『海岸線』など金基徳監督の作品に見られる湖のイメージが溢れている。世間との境界でもある湖には死の影がつきまとう。
幼年期を象徴する春に、少年僧はカエルやヘビ、魚の体に石をくくりつける罪を犯す。17歳になり、愛に目覚めた少年僧は真夏の庵で療養中の少女を犯す。その後の人生は過去から切り離せない。
金基徳監督は遊び心と執着、殺意などを一人の人物に丹念に積み重ね、強力なイメージを作り出した。沈黙をすくいとる手腕は相変わらずだ。言葉は抑えるか省略し、その分を風景で埋めたこの映画は、そのために一編の詩のようにも思われる。
劇中に自然を最大限に盛り込んだ『春夏秋冬そして春』は、しかし不自然である。映画というより、人生の極端な一面を羅列したような印象だ。顔のあらゆる穴を「閉」の文字で塞ぐ場面などのイメージは強力で美しいが、説明不足だ。
金基徳監督はこの映画で自らの感性を全て背負い、山の中の庵に戻っていった。それが世間との疎通に有益なのか、有害なのかはわからない。劇中人物が冬には船に乗らずとも庵に歩いていけるように、監督の映画に必要なのは氷のような理性なのかも知れない。