心から笑わせる真のコメディアン ペ・サムリョンさん

 60年近く韓国人を笑わせてきた“コメディー界の生き証人”ペ・サムリョン(77)さんが6日、第10回大韓民国芸能芸術大賞の授賞式で大賞と共に、政府から文化勳章の花冠賞を受賞する。「私になぜ勲章を」と思ったというペさんは、それでも嬉しさを隠しきれない様子だった。

 仁川(インチョン)のホテルで公演をしていたペさんは、「よろよろペ・サムリョン」という愛称が与えるイメージとは違い、実際の年齢に比べてしっかりとして見えた。チェックのジャケットに八部丈のズボン、デコボコのかつらにコムシン(靴)を履いて熱演する彼を見て、白髪混じりの約100人の年老いた観客たちは爆笑した。

 控え室で会った記者にペさんは、すぐさま自身のコメディー論を展開した。「心で人々を笑わせると記憶に長く残ります。最近のギャグは人をくすぐって笑わせるような感じがしてなりません」

 60、70年代、一日一日を一生懸命に生きた庶民たちにとって、ペさんのコメディーは人々の苦しさを忘れさせる清凉剤だった。「生きることで精一杯だった人々に、スターというよりは家族や親戚のような身近な存在でいたかったんです。なので、いつも扱うネタは素朴な庶民たちの生活でした」

 完璧にバカな人物を演じたペさんのコメディーは、そうした計算の下で作られたのだった。「どうすれば“あなたにはかないません”、“物足りない人間です”という印象を与えられるか、常に悩みました。衣装から語り口、身振り一つに至るまで、すべてに気を使いました」

 1946年、楽劇団「ミンヒョプ」の団員としてデビューしてから58年を迎えたというペさんは、この日も「よろよろペ・サムリョン」という看板の下、舞台で熱演を繰り広げた。しかし、年齢の影がこのベテランコメディアンにも忍び寄っていた。公演が終わってペさんは、妻から10種類以上の薬をもらって飲んだ。

 酒や花札(ファトゥ)にも手をつけないというペさんは、自分を“頑固な人間”と表現した。

 「見た目とは違って、誰かが声をかけない限り一日中一言も言わない寡黙な性格です。以前から、私がコメディアンだというだけで、気安く近づいてきて冗談を投げるのがとても嫌でした」

 ペさんは最近も、一月の半分は全国各地を回りながら公演をしているという。「そんな年になってまでカネを儲けようとしているのか、と誤解されるかも知れませんが、夢中にスケジュールをこなしていると、韓方薬2~3袋を飲んだより、効果がありますよ」と笑った。

 昨年11月、持病の喘息に肺炎が併発してしまい、“死の入口まで行ってきた”ことがあるというペさんは、京畿(キョンギ)道・ 退村(トェチョン)面にある田園住宅で妻 奇永淑(キ・ヨンスク/65)さんと共に生活している。

 公演のない日には、読書や東洋画を描くのが彼の楽しみだ。大衆の関心を一身に受けていた彼に、舞台裏で感じる名残惜しさはないか、と聞いてみた。

 「人気絶頂の時は、浮かれて自分を顧みる余裕などありませんでした。今は自分自身を整理することができます。幸せなことです」

 高校時代、日本留学まで経験した彼が、両親の反対を押し切ってまで楽劇団に付いていったのは、光復(日本の殖民支配から解放されたこと)直後の混乱期に、「失業だけは免れたい」という思いからだったという。ペさんは、嫌いではなかったので続けた仕事が、「今振り返ってみると天職だった」と述懐している。

 「生まれ変わってもコメディアンになりたいですね。“コメディーの王様”、“韓国コメディー界のゴッドファーザー”のような派手なキャッチフレーズより、“コメディアンペ三龍”として永く記憶に残れたら最高でしょうね。手術の直後に立っても、痛みを忘れることができる場所が舞台です。気力のある限り、永らく舞台に立っていたいですね」

 ペさんにはもう一つ夢が残っている。「ペ三龍記念館」を建てることだ。

「勲章を受ければ、展示するものがもう一つ増えますね」

朱裕麟(チュ・ユリン)記者
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